反抗期のない男たち

「僕、けっこう、反抗期なかったんすよ」とか、「そういえば、うちの子、反抗期なかったのよ」なんて話しを時々耳にする。だから、なにやらわけのわからぬ思春期の葛藤とか、親が超うざいとか、反対に、親にとっては迷惑せんばん(書けない)なあの時期というものは、別に、のべつ幕なしに誰にでも起こる事象ではなさそうだ。そこで、よくよく考えてみると私の周りの「性別は男」とされる人たちは皆、この反抗期なしの部類に属するようである。

それによって、私の人生はずいぶん生きやすいそれとなっているので、お礼を言わなければ・・・。

といっても、私の周りには男に属す人たちは公式には二人しかいない。弟と子供である。私の弟は8歳年下で、こんな姉(どんな姉?)を持ったために、自分がしっかりしなければという義務感があったらしい。若い頃からゆるい姉を守るために老成した感があり、今ではすごく頼りになる大人となってしまった。それでも、生まれた頃は歳の差がある(歳の差というのは、不思議なもので、絶対的な歳の差は変わらないのだけれど、相対的には縮まるものです。だって、8歳違いとはいえ、8歳のときに0歳と、98歳のときに90歳って全く違うじゃないか!)ので、兄弟というよりも豆ぐらいにしか思っていなかった。

その弟は、反抗期がなかった。大人しい。彼が中学くらいのときに聞いてみた。「あなたってね、反抗期ないよね?」ちなみにその時、私は大学生。反抗期という時期はとっくに過ぎていました。お答えがふるっていました。「おまえが一年中、反抗期なので、俺は反抗している暇がないんだよ」ぐうの音もでませんでした。ぐう!

もう一人の男性、うちのお子様。これも、記憶にある反抗期というものはない。いつもいつも母想い。他己中心的な人で常々頭が下がっていた。その彼も中学生くらいのときに、ちょっとばかり、一緒に外出してくれなかったり、言葉少なになる時期も。といって、反抗というほどではない。ところが、一度、一緒に渋谷に買い物に行った時のこと。確か、彼の冬服を買いに行ったのだと思う。渋谷の駅に着くやいなや、彼は私から10Mも離れて歩いている。で・・・頭にきた。大声で「ねえ、ねえ、どうして離れて歩くわけ?感じ悪~。もう、貴方とは一生一緒に歩くことはないでしょう(一生とか絶対とか言う言葉を使うなと親から指導されてきたのですが、こういう場合、妙に使いたくなる)」と母の捨て台詞。

帰宅してからも私は相変わらず機嫌が悪い。そこで彼が言いました「ママ~?今日が何の日だか知っているの?バレンタインデーだよ。そんな日に渋谷をママと歩いているところを友達に見られたら、僕がどんなに恥ずかしい思いをするかわかっているの?」

失礼しました。

子供の心、親知らず

1992年からアメリカにて経営学の修士をとり、その後、シリコンバレーで自分の会社を立ち上げた。アメリカに行ったとき連れて行った2歳の息子は卒業時には4歳に、ちょうど離婚したばかりだったので、それ以降は、シングルマザーとして子供との二人三脚だった。慣れないアメリカで教育もすべて初めてことばかり。ベビーシッターを雇って家をあけることがなんとなくできなくて、好きな映画に行くこともなかった。それでも、まったく苦にならない楽しい生活だった。

そんな生活が一変したのは、自分の仕事が突然日本ベースになったときのことだ。息子の教育を米国ですると決意していた私は、自分の日本での仕事がテンポラリーなものだろうと予測し、子供をアメリカに残した。日米を行ったり来たりの生活だったが、まだ小学生の彼にとっては、唯一の家族である私と過ごす時間を奪われる格好になり、その生活の変化は辛いものだったに違いない。当時、彼は10歳足らず。知り合いの人に最低限の世話を頼んで、日本での仕事に打ち込んだが、幼少の頃から思いやりの深かった子供は、自分のことより私の体を気遣ってくれた。アメリカに戻るたびに、笑顔で私を迎えてくれる。一度だけ、出発の日に涙ぐんだことがあったが、それ以外は、彼の泣き顔を見たことがない。

やがて、仕事が完全な日本ベースになった私は、中学生になった彼を日本に呼び戻した。意思に反した離れ離れの生活に終止符を打ち、私たちの生活も落ち着きを取り戻した。

今、彼はアメリカの大学を受験するためにエッセイを書いている。アメリカの受験では、通知表や共通テストの点数のほかにクラブ活動や奉仕活動、リーダーシップなど諸々の要素が総合して評価される。中でも学生が何よりも力を入れるのがこのエッセイの執筆である。求められる課題は、自分がいかに生きてきたか、自分の人生のゴールなど、これを書くために、高校3年生の生徒たちは、若くして人生の棚卸を迫られる。自分にとっての大きな出来事、その時何を感じた、自分がどう変わったか、などなど。人生を問い直すいい機会である。

先日、彼が書いたそのエッセイを見る機会があった。書き出しは以下のように始まる:

母は仕事で何週間も日本を訪れるようになった。両親は離婚していて、私は一人っ子だった。私は母がいない間、寮にあずけられていた。中学生と高校生のための寮に小学生の私が1人。見ず知らずの人に囲まれての生活が始まった。見ず知らずの人々は親切だった。それでも、やはり見ず知らずに変わりはない。彼らは食事や通学手段や住処を提供してくれた。でも、誰も自分が何をすべきか教えてはくれない。母が日本に行くたびに、夜になると、私は寮の片隅で泣いていた。できるだけ静かに、母の写真を胸に抱きながら。母が日本に行くたびに、私は少しずつ泣かなくなった。そして、徐々にではあったが、自分を信頼し、自分でやるべきことを決めるようになった。

いつも笑っていた彼。もちろん、その姿だけがすべてではないと知っていた。でも、仕事が忙しく時差にさいなまれる私をかばいながら笑いかける彼の笑顔に甘えていた。

それにしても、子供の心、親知らず。

とはいえ、このブログは涙なしでは読めないというコメントをいただいたので、付け加えます。私は、彼のエッセイを読んで、申し訳ないと思うと同時に、「受かった!」と思いました(笑)

育ちの違い

世界最強の投資銀行(何をもってして?) の方とお話しして妙に納得しました。なにやら年収で3億円くらいということ。アメリカ本社のCEOは、確か新聞発表で7~8年前に40億円くらいだったように記憶しているので、業界での格差を見せられる思いですが、そんなことを今さら論議したいわけでないです。ちなみに、今回、元ゴールドマン=>NYSE=>メリルのCEOは50億だそうです。メリル今めちゃめちゃ苦しんでいますから、好転の折には120億も夢じゃないとか・・・まったく、何の話かわからない金額です。でも、余談でした。すみません。

さて、この最強の投資銀行、サブプライムで大損をしている証券や投資銀行が多い中で、四半期で3000億円もの利益を出しました。で、「さすがですね。このご時世に3000億円もの利益。サブプライムには手を出していなかったのですね。すごいすごい」と言うと、「いや、違いますよ。うちだって1500億くらいの損は出していたんです。ショートしたんですよ」と宣う。目の前がパッと明るくなりました。「この数字見ただけで、ファイナンスの人間なら何をしたかはピンときますよ」と言われ、そうか、素直にサブプライムに手を出していなかったと考えた私は、甘い甘いと納得せざるを得ませんでした。しかし、・・・ということが言いたかったわけではないのです。響いたのは次のフレーズです。

「(私はファイナンスの人ではないので、まったくもって無責任な発言で申し訳ないが、とにかく論理的には正しいと思い)な・る・ほ・ど!下げは決まっていますもんね。じゃ、なぜ、他はしないの?他社もショートすればよかったじゃないですか?」とお尋ねすると、「育ちの違いですよ。うちは、生まれが投資銀行です。生粋の投資銀行。だからできるんですよ」とおっしゃる。「はあ」「今回、79億ドル(日本円で8500億円くらい?)もの損を出したMさん。こちらは、母体が富裕層顧客なんです。まず、富裕層ありき、その上に、投資銀行がのっかったという歴史があります。この富裕層という顧客基盤を意識するとショートはできないですよ。下がったら売るな、みたいな社内規定もあるんです」

なるほどね。下がったら売るながどうルール化されているかは別として、確かに富裕層を意識したら無茶はできない。育ちが違う。そのとおりですね。

このMさん、そういえば、インターネット惣明期にも同じように叩かれたのを覚えています。1990年代、銀行・証券がオンライン化する中で、アメリカでは、E-Tradeのようなオンライン証券はもちろん、既存小売店舗を持っていても Schwabのように積極的にオンラインに投資する証券会社もありました。それに比べ、Mさんは、オンライン化が遅いんだよと散々たたかれたのです。でも、Schwabは証券会社といえども、Discount Brokerage Firmという部類に入る会社。顧客基盤がMさんとは違ってもとから一般向けの証券会社です。インターネットをすすめたって誰も怒りはしない。むしろ、喜ばれましたよね。既存ビジネスが足かせになることはなかったわけです。

Mさんをかばうわけではないですが、両方ともMさんの正の資産が足かせになっていますね。こうしてみると、パラダイムシフトって、いつもながら既存ビジネスに不利だということを思い知らされます。

閉じる効用について

突然、堅い話で申し訳ないが、やはり、インターネットやオープンソースの動きがもたらす市場性の変化とか、それが経済に与える影響とかが気になって仕方ない。それに関連して、ずーっと気になっている「独占」について頭を整理してみました。

企業にとって、独占のうまみは大きい。そのポジションがとれたおかげで利益率は格段に向上、経営指標のすべてが正のスパイラルに転換する。一方、市場の立場に立つと、独占により自由競争が阻害される。市場にとって独占は悪。独占禁止法で単に独占というもの禁止する(独占禁止法の立ち居地というのは、独占による違法行為を禁止するだけでなく、独占という状況それ自体を回避させるためにある)というのも、独占があまりに強大な力を持ってしまう所以。しつこいけれど、ゆえに、企業にとっては独占というものはとてもおいしいものである。

あたりまえじゃないかと言われるかもしれないけれど、独占市場を形成する必要条件として、閉ざされた市場を形成するということがある。市場を囲む明らかな境界線がある。言い換えれば、市場が無限大に開放されているところに独占は存在しない。独占のうまみを享受するには2つの要素が必要。ひとつは、市場のサイズ=大きければ大きいほどいい。もうひとつは、その市場を「閉じる」ことである。

私が、アメリカのビジネススクールを卒業した頃、今をときめくAppleは瀕死状態だった。1992年の入学時に Macを使い始めファンとなった私としては納得がゆかない。ハイテク産業といえども、明らかに技術だけが優位性を確立するわけではない。ビジネススクールのケースにもなった、AppleがOSを開放しなかったことによる競争劣位。それに比べて、MicrosoftはそのOSを数々のハードウェアメーカーに販売。異なるハードウェアの上にWindowsが載り、その上のアプリケーションの販売を容易にした。米国司法省がそこに噛み付いたのは記憶に新しい・・いや、古いかな・・。ハードウェアの上にOSという皮をかぶせることにより市場を閉じたのである。

別にハイテクでなくても同様なことがどの産業にも散見できる。例えば、アルコール市場で、ビールという市場は閉じていたが、発泡酒が発売され、境界線は不明確に、よって競争は次の段階に入り、それまでの寡占市場は混沌とした。もっと長い目で見れば、アルコール市場では、移ろいやすい人の心が閉じた境界線を不明瞭にしてきたといえる。ウイスキーやバーボンなど、かつては、バブル時代、市場のステータスであった酒類、今や焼酎に押されつつある。以前に比べ、境界線は、特定の種類の酒から酒全般に移行したと言える。そして、今後、健康志向が高まればアルコール市場は、ソフトドリンクやノンアルコールの飲料水と競争を始める運命かもしれない。

インターネットは、この閉じた市場をあらゆる意味で開放している。インターネット総明記、PCがTVと融合すると言われ始めた当時、アメリカで経営していた会社のお客様(日本のメーカー様)たちに熱い思いで話した覚えがある。デバイスの境界線がなくなる。Microsoftに勝てる。家庭でのハブの覇権争いが始まりそうだった。ハブになるのはTVかPCか、はたまた携帯かサーバーか。これが実現するまでにはまだ時間がかかりそうであるし、日本勢は今のところ全く王手をかけられていない。が、とにかく、PC市場は以前のような閉じ方はしていない。独占はゆるくゆるくなっている(インターネットが開放したものは、閉じていたデバイスの市場だけではないが、ここでは、独占についてだけ考えたいので、とりあえず、他の話題には触れない)。

同じインターネットでも、Googleが作り出している市場は閉じている。Googleは、OSの上にもう一枚インターネットという一皮をかぶせた。もちろん、インターネットは一企業に属するものではないが、Googleのエンジンの性能が他に比べて優秀である限り、膨大な情報を整理・検索しようとする人たちの市場をインターネットというツールで閉じていると言える。

そして、この市場のサイズは?とりあえずのところ、世界最大の広告代理店を目指すGoogleは、先のMicrosoftと異なり、インターネットを媒体としてとらえた広告サポートビジネスモデル=受益者非負担のビジネスモデルをコアにしている。この広告市場全体のサイズは50兆円、日本市場は6兆円、マスからターゲットメディアへの移行が進んでも市場規模に変わりがないとはよく言われることだが、長い目で見れば、広告市場全体のサイズも変わると私は考えている。インターネットビジネスは、市場の変換を促している。ビジネスモデルを受益者負担から非負担に、消費者を生産者に、購買者を販売者にという具合だ。新たな生産者や販売者が生まれれば彼らの一部は新たな広告主となる、また、受益者非負担のビジネスモデルの台頭により消費者は無償のサービスや製品を手に入れて利益を被るわけだが、消費者はそれにより余ったお金を貯蓄にまわすわけではない。他の有償のサービスや製品を購買する。生産者・販売者となることにより増えた収入がマクロ的な購買力を増やすとすれば、この市場は新たな広がりを見せる。Googleは、とりあえずのところ、成長市場を閉じていることになる。

元気になるブログの書きはじめ

私は言う 「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」

彼の人は言う 「命短かし恋せよ乙女」

何年か前に、ブログをやらないことで喧々諤々。会社にて。今回も、ブログを始めるにあたって喧々諤々。会社にて。それでも、始めてみようと思ったのに難しい理由があるわけではありません。私に少しばかりのエネルギーがあれば、私と仕事やら家族やら友人やらの関係だけでなく、顔を見たことのない人たちが、少しでも幸せになってくれたり、元気を取り戻してくれる方法があるといいな、そんなことを思って、心にとめていた言葉を書きとめようと思いました。

ということで、とりあえず、恋愛編から始めてみました()