村上春樹さんのエルサレム賞でのスピーチ

最近、村上春樹さんがエルサレム賞を受賞したときの「壁と卵」のスピーチが圧巻なのでちょっとコピーして、訳してみました。

So I have come to Jerusalem. I have a come as a novelist, that is – a spinner of lies.

Novelists aren’t the only ones who tell lies – politicians do (sorry, Mr. President) – and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren’t prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get.

The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It’s hard to grasp the truth in its entirety – so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.

Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.

When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?

I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I’m told. It’s in my nature as a novelist. Novelists can’t trust anything they haven’t seen with their own eyes or touched with their own hands. So I chose to see. I chose to speak here rather than say nothing.
So here is what I have come to say.

If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.

Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.

I have only one purpose in writing novels, that is to draw out the unique divinity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So – I write stories of life, love. Make people laugh and cry.

We are all human beings, individuals, fragile eggs. We have no hope against the wall: it’s too high, too dark, too cold. To fight the wall, we must join our souls together for warmth, strength. We must not let the system control us – create who we are. It is we who created the system.

I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.

エルサレムにやってきました。小説家として。嘘を紡ぐ職業である小説家です。

小説家というのは、嘘をつくものです。他には政治家とか外交官とかも嘘をつく。大統領、ごめんなさい。でも、小説家の嘘の特長というのは、小説家は嘘をついても罰せられないことです。むしろ、褒められる。大きい嘘であればあるほど、もっと褒められるわけです。

小説家の嘘と他の人がつく嘘の違いは、僕たちの嘘は真実を導き出すことです。真実を完全に見極めることは難しい。だから、僕たちはそれをフィクションの世界に展開します。でも、その前に自分たちのどこに真実があるのかを明らかにしなければなりません。

今日、僕は真実を述べます。僕が嘘をつかない日は年に何日もあることではありません。今日はその数少ない日のひとつです。

僕がこの賞を受けるにあたって、ガザ紛争があるから行くべきでないと何人もの人が僕をとめました。小説家とは言われたことと反対のことをするものです。小説家は、何でも自分の目で見て手で触れてみなければ信じることはありません。みんなここに来るのを反対しました。だから、僕は、ここに来ました。何も言わないよりも、あえて言うことを選んだのです。

もし、堅くて高い壁があり、それを壊そうとする卵があるなら、どんなに壁が正しくても、どんなに卵が間違っていても、僕は、卵の側に立ちます。

なぜなら、私たち一人ひとりが卵であるから、壊れやすい殻に包まれた固有の魂を持つ卵なのです。ひとりひとりが高い壁に対峙しています。高い壁はシステムです。そのシステムは私たち個人が普段行いたくないようなことを強制します。

僕が小説を書く目的はひとつ。人々の神がかったような個性を引き出したいだけです。固有であることを尊び、システムのもつれから私たちを解き放ち、命と愛の物語を書きます。人々を笑わせ、そして、泣かせてみせます。

私たちは、みな、人間であり、個人であり、壊れやすい卵です。壁に立ち向かって勝てるはずもありません。壁は高く暗く冷たいのです。だから、壁に立ち向かうためには、暖かで強い魂を紡がなければ。システムに私たちをコントロールさせてはなりません。システムを創ったのは私たちだからです。

イスラエルの読者の方々へ、私が言ったことから何かを見出してほしいのです。それが、私がここに来た一番大きな理由なのです。

って、直訳ですが、ガザ紛争のイスラエルにて、あえて、これを言うのはすごいなって思います。

Silicon Valleyで暮らしていた頃、スタートアップで大成功を収めたイスラエル人たちと仲良くなりました。彼らは、10億円くらいの家をかの地に持っていましたが、普段はイスラエルで暮らし、一年のうち一ヶ月をSilicon Valleyで過ごしていました。子供の友人がそのイスラエル人家族の息子さんでした。クラスでもずば抜けて優秀な成績をおさめていたその子。

「大きくなったら、何になるの?」私が質問すると彼は「僕は、大きくなったらイスラエルで兵士になる。そして、イスラエルのために戦う」

村上春樹はすごいと思うけど、私は、そんな歴史を背負っている人たちにどんな言葉をかけていいか、今だに、わからない、、、のです。

I have a dream

I am overwhelmed by my work recently. Although it is not an excuse not to have written this brog, I guess I always need to remember something important throughout of my life. Now, I have a book “The Last Lecture” in my hand. Let me take a memo from this book at least.

 

I coped with the disease, or how it gave me new perspectives. Many people might expect the talk to be about dying. But it had to be about living.

 

“What makes me unique?” “Cancer doesn’t make me unique.” Whatever my accomplishments, all of the things I loved were rooted in the dreams and goals I had as a child. If I was able to tell my story with the passion I felt, my lecture might help others find a path to fulfilling their own dreams.

 

In case there’s anybody who wandered in and doesn’t know the back story, my dad always taught me that then there’s an elephant in the room, introduce it.

 

Walt Disney had said, “If you dream it, you can do it.”

死を土台に

年末から死について改めて考えている。人が、およそ限られた時間と知ったときに何を考えるのだろう。

昔からある命題ではあるものの、そんなことを突き詰めて考えていると、友人からチャットがはいった。とっさに、このインタラクションに意味があるのだろうかと考える。「どうしているの?」「改めてね、命が限られていたとしたら、何をするか考えているの」と答える。自問自答のようなものだ。「それなら、考えたことはあるよ」すぐさま、そのリストが共有される。感謝の言葉を伝えるとか、いっぱい本を読むとか、前に挑戦していた仕事をつきつめるとか・・。

そうなのだろうか?彼の言うところの死ぬときになったらやってみたいことというのは、やはり、「生」を土台にした願望でしかない気がした。「死」を前提にしての願望は絶対に違うところにあるはずだ。

誰もが生まれたときから一秒一秒死に近づいている。それなのに、その時間にはっきりとしたリミットをつけられない限り、やはり、私たちは所詮、命が限りないようなふりをして生き続けるのだろうか。

輝いているときに、心躍せるもの、とは絶対に異なるもの。何を捨て、何を抱え続けるのか。

例えば、地位とか名誉というもの。賞。それがほしいと頑張る自分は想像ができない。

高校時代、勝てるはずがないと言われた私立の特待生たちに思いっきり戦って得た勝利、そのテニスの仲間とのとどまることのない笑い声、炎天下の緊張感。まだ、愛しいと感ずる。

テーブルの向こうで、ちょっと疲れた顔をしながら、法人格にすればいかに節税ができるかを得意げに自慢している人。視界から消えてなくなればいい。

妙に家族を恋しく思う。血から離れることが私の命題なのに、こだわる自分がわからない。やがて、心は開けるのだろうか?

死ゆえの生なのだと何度も言い聞かせているのに、まだ、ほとんどの時間、私は間違って生きていると思う。

Żubrówka

だいぶ前になるけど、Yohei君のコンサートに行ってきたご報告。

渋谷の一角にある50人でいっぱいになるようなコンサート会場。弾けるような歌声、若さ、見え隠れする無謀さ、Vulnerability、高音が細胞に入り込みそうにセクシー。

いつも迷惑ばっかりかけているというお兄ちゃんに捧げる幸せを祈るピアノ曲。

Żubrówkaをロックで。お水は別にください

昔の人の飲み方。「アメリカではŻubrówka売っていないの」そんなことを話したら、Żubrówkaを持参してくれた君、ありがとう。

18歳の成熟度

年に何回かシリコンバレーに来る。出張でもなく、遊びでもなく。私費で来ているが、VCに会ったり、お客様の仕事を入れたりで、それなりに時間は過ぎる。今も、エコノミーを使ってきているので、もう相当にしんどいし、こんな調子では、来るたびに半年くらいは寿命を縮ませているんだと思う。悲観的かしら。本当にきついのだもの。

飛行機代と未だに(笑)モーテル代、レンタカーなんかを合せるとけっこうな出費となる。ネットイヤーの本社移転に伴い、せっかく日本に戻ったから、アジアの国でも行ってみようと思っていたが、それもほとんど達成していない。お金もさることながら、シリコンバレーに来ることで休みを使ってしまって、他の国を訪ねる暇がない。

もう、やめようかな、とよく思う。それでも、当たり前のようにSFOに降り立ち、ほとんど通勤みたいに、レンタカーを借りて、101を南に下る。わざとUniversity AveでExitして、大学への道を走らせる。平日につけば、キャンパス内の大好きなタイ料理を青い空のしたで食する。暇があればAlumni CenterでIDを取得して仕事をする。カフェテリアにPCを持ち込んで、ただただ、のんびりする。南の島に行くよりも、ここにいるほうが、なんだか特をしているような気がすると思うこともある。きっと、これからも、ずっとここに来続けるのだろう。

Kotが大学に入ったことで来る理由も出来たでしょうとアメリカのみんなは言うけれど、反対に義務感になってしまうとよくないとも思う。とにかく、体が弱いわが子のことが心配ではあるので、友達もおごってあげるからという誘惑で夕食に連れ出す。彼が大好きなフォンデューを食べる。

Kotの友人などと一緒に食事をして、18歳ってずいぶん成熟度が違んだと改めて思った。KotはAcademicallyには優秀な子供だ。特に数学とプログラミングは、飛び級もしているし、人生のほとんどをパーフェクトで過ごしている。それでも時々、心配になり、大丈夫かと聞くと、間違える気がしないのだという。大学に入ってもそれは変わらないようで、今まで失点はない。最初は大学が楽しいと言っていたが、最近では、Stanfordが他大学に比べ簡単すぎるのではないかと疑問に思っているようだ。

でも、反対に、その他のことは全く駄目。記憶力が極端に低い(親と同じ)。言語能力も低いと思う。

ものすごく論理的で、人の気持ちはよくわかる子なのだが、なにか欠落しているような・・・(笑)。バランスが極端にとれていない。本人は気にしていない。

そして、駄目な分だけ、親しい友達という韓国系アメリカ人の子に感心してしまった。Mature!

Stanfordは、学生の自主性に重きをおいている。パーティースクールと言われるゆえんもそのあたりから来ている。カリキュラムも自由、外国にいってもいいし、働いてもいい。たくさんのオプションが用意されている贅沢な学校だ。でも、4年間の出来上がりは、学生次第。Princetonなど他のBig 4を卒業してStanfordに来る学生は、甘すぎるんじゃないかと言う。だから、彼・彼女らが、どんな目標をたて、何をするか、その充実度は、人によってあまりに様々だ。サボろうと思えばどれだけでもサボれる。簡単に卒業できる。

Kotの友人のそのSeanという子にそんなことを話していると彼は言った。「Stanfordは確かに学生間の競争を嫌っている。だから僕たちはお互いにCompetitiveではない。だけど、競争は自分に課するものなんだ。学校が指導していることは、自分に対して競争的であれということなんだと思う」

今まで私は、この学校のカルチャーについて本でも書いてきたし、スピーチでもよく話してきた。でも、こんな簡単に論理的に、入ったばかりの学校のこと一言でいいあてる18歳にただただ感心した・・・次第です。

この成熟度、理解力、洞察力。全く違う人種を見ている思い・・・。

ところで、昨日、University Aveを歩いていたら、クリスマスのライトをつけて10人くらいの消防士を乗せた消防車が手を振って通っていった。ずいぶん楽しげだったので、笑えたが、この街もどこかバランスがおかしいのか、それとも、日本のほうがおかしいのだろうか?

生まれ変わったら?

アメリカにいたほぼ10年、仕事と勉強とで文字を読みすぎて読書をしなくなった。とにかく、文字が見たくなくて、暇さえあれば、外に出たり、ゲームしたりの生活。

その読書に関しての失われた10年を取りかえそうとばかりに、最近、めっきり読書熱。なんとなく、昔聞いたことのあるタイトルの本を片っ端から古本屋さんで買っている。

それにしても、日本語は表現が豊かだなと思う。アメリカにいたときは、苦手な英語を読まされ続けたので、それが文字嫌いを助長したのかも。意気地なし?

そもそも、英語表現はあまりに陳腐。「羊をめぐる冒険」が何故「A Wild Sheep Chase」に?「めぐる」に含まれた情緒的な表現が伝わらない。うちのお子なんかは、村上春樹の大ファンで、全部英語で読んでいるが、本当によさをわかっているだろうか?ねえ、Kot君?

って、英語を馬鹿にしていたけど、日本語訳も陳腐なのが多い気もする。「Heaven can wait」は「天国から来たチャンピオン」、「As good as it gets」が「恋愛小説家」。勘弁してほしい。

映画の翻訳をしている友人から聞いたことがあるけど、翻訳って要するに日本語の能力らしい。英語がよくわかっているというより、日本語でどんな表現ができるかが実力。おかげで、彼女は、英語だけじゃなくてイタリア語のオペラなんかも翻訳している。イタリア語ってよくわからないわって言いながら。すごいなぁ。

カイのおもちゃ箱 by 辻仁成

もともとわりと読みにくい文を書く人だと思っていたけど、とりわけ、この本は難解でした。注意して読んでいないと大事なところを飛ばしそう。

僕は暗闇と何百年に渡って対峙している。僕は孤独が好きで暗闇とうまく融合している。ここから出たくないと思っている。しかし、ある時、気付く。

百億年であろうが、百秒であろうが、その差はあまり意味がないことを知ったのだ。時間はあくまでも尺度であり、空間はあくまでも基準であり、それはそれに過ぎないのである。

それは、そうなのかもしれない、と思う。

そして、暗闇は僕に具体的な命題を提示する。

進化せよ。

時間が尺度であり、自分にとってその長さが問題ではないということは、とても心地よい概念だ。そこには、生や死という時間に支配されているモノは存在の意味がない。善や悪というコンテンツも存在の意味がなくなってしまうかも。

何をもって進化とするのか?進化は善か、悪か。時間の制約を受ける進化論は確かに理解しやすい。

昨日、BloombergのTVで生まれ変わったら何になりたいかと質問された。経営者はだいたい同じことをやりたいと答えるので、それはNGですよと前置きされた。

生まれ変わったら、進化論を説くより、何故プラスとマイナスがあるかとか、何故N極とS極があるかとかいう、不変の真実を突き詰めるのがいいのじゃないかと、思った (^・^)

投資銀行がバランスシートで仕事を始めたわけ

昨今の金融情勢は1929年以来の非常事態だから、メモが続きます。

前に、バランスシートで仕事しないはずの投資銀行が・・・と書いたけど、これは、半分間違いです。簿外負債があるという意味で。

バランスシートで仕事しないはずの投資銀行は、実際に、リーマンに限らず、バランスシートを十分膨らませていた、つまり、バランスシートで仕事し始めたという事実を、まず、重くみないといけません。

さらに、やはりオフバランス(簿外)も相当あったんだという事実も受け止めないといけません。今回は、最初のバランスシートで仕事をし始めたわけの巻です。

銀行には、商業銀行(コマーシャルバンク)と、証券業務をやっている投資銀行の2種類があります。

商業銀行は、私たちが小学校で習った銀行業務をやっています。つまり、預金者から借りたお金で、債務者にお金を貸す。預金者への利子より債務者への利子が高いために銀行は儲けることができます。

一方で、投資銀行と呼ばれる業務は、もともと日本の証券会社の業務と思っていいはずでした。

商業銀行は間接金融、投資銀行は直接金融という区分けもできます。

もともとの銀行業務をやっている商業銀行はバランスシートを使って商売をする代表のような企業です。お金を使って商売する企業ってあまりない。預金者から預かるお金を負債勘定に、債務者に貸すお金を資産勘定に計上する、こんなに多額のお金をバランスとして計上しておけるのは銀行をはじめとするファイナンシャル企業しかないのです。よって、バランスシートで仕事をするといわれても仕方ないわけです。

それに比べ、投資銀行のはじまりは、日本の証券会社と同様の業務ですから、フィービジネスです。顧客が株を売買する際のフィーや企業のIPOを助けることによるコミッションを生業にするビジネス。1億円の債権の販売をしたとしても、その5%をコミッションとして受け取るなら、バランスシートには1億円が計上されることはなく、利益として得られたフィーが年間を通して残ってやっと5%のみが載ることになります。直接金融といっても、お金は投資家から発行体に流れるから、その仲介をしているにすぎません。

バランスシートを使わないビジネスというのは、リスクをとらないビジネスです。リスクをとるのは、投資家だけです。

しかし、今回の金融業界崩壊で最初に表面化したサブプライムは、住宅ローンの一種ですから、本来は、商業銀行が発行していたもの。なのに、何故、投資銀行がどんどん破綻していったかと考えると変ですよね。

その理由は、住宅ローンが、金融商品の流動化とか証券化とかデリバティブと呼ばれる金融派生商品に変わっていったからです。ローンを実行したオリジネーターである商業銀行は、ローンが流動化したことにより、債権が不良化しても、その債権を投資銀行が買ったことにより、バランスシートから消えちゃったのです。そして、バランスシートに載るはずのない債権=>債務が、本来、バランスシートで仕事をしなかったはずの投資銀行のバランスシート上の負債に計上されたのです。

この金融商品の証券化が投資銀行のバランスシートを膨らませた要因です。この証券化した債権は、サブプライムに留まらず、あらゆる金融商品にまたがり、いくらバランスシートが膨らもうが、これはリスク分散と認識され、投資銀行の格付けは高いものでした。

だから、信用力があるとされ、低コストで資金調達もできます。資産を持たない投資銀行が、資産を持つことにより、より多くの収益を上げます。

どの商売よりも簡単。いいモノをつくるとか、いいサービスを売るとかには、開発にもオペレーションにも工夫がいる。でも、投資銀行業務の成れの果ては、バランスシートを膨らます作業、証券化して買い入れ、売り抜けるだけでいいのです。

しかし、サブプライムやデリバティブは同時に急激な価格下落をし、結果、流動性がなくなりました。サブプライムの価格低下で、他の金融商品もやばいと気付いたのが昨年あたりから、そして、隠れていた負債に数々金融商品が加えられ、同時多発的に破綻したのです。

昨日、久しぶりに元メリルのOさんとお会いしました。某監査法人が選定するベスト50社に選ばれ、Oさんがキーノートだったのです。

Oさんは、日本の証券界で、5年連続アナリストナンバーワンに選ばれている優秀な方で、当時、ネットイヤーグループの大ファンでいてくれた人です。仕事と関係なく、ずいぶん助けていただいたけれど、メリルが一度業績不振に陥ったとき、体を壊され、それ以来、お会いしていませんでした。すごく懐かしくて、パーティーの席では、ずっと私の横にいて、話をしてくれた。

彼曰く、世界のGDPの規模は54兆ドルだそうです。そして、株式などの金融商品は130兆ドル、そして、そして、デリバティブなどの派生商品の規模が596兆ドルです。農業、工業、ITなどモノ作りで得られた対価の10倍以上が、この信用で作られていたのです。

世界の経済って何?

サブプライムの実感

この話題、好きじゃない人、またも、ごめんね。

つい先日、D社の子会社でやっぱりDがつく会社の社長とランチをしていた。協業の話をしていたんだけど、いかんせん話題はウォールストリートに。といっても、このことが頭から離れない私がふったんだけど・・。そして、とうとうと話す自分を振り返り、自分の言っていることが今ひとつ腑に落ちないことに気付く。私、ファイナンス馬鹿なんです。それで、自分の考えをまとめてみることにしました。

まず、サブプライム。リチャード・クー氏によれば、住宅バブルが続いていた間はウォールストリートの資金運用者の資金コストは1%くらいまで下がっていた。ここがインターバンク間の取引を活発にした理由なんでしょうね。貸し出し金利は相当に高かったはずなので、商品に組み入れたり、証券化すれば誰でも儲けられました。

それが2004年あたりから短期金利の上昇で資金コストがあがり、しかも、住宅市場が飽和状態になっていた。転がしにくいのに加え、資金需要の方も枯渇していた。

そこで、Wall Streetも、高い金利を払ってくれる、それまで小さかったサブプライム市場に目をつけた。2年持っていれば20%上がるといううたい文句につられ、住宅を買えない人たちが一挙にこの市場に流れ込む。しかし、実際には住宅価格の上昇率はゼロとなり、マイナスとなっていった。ちょうど、金利がものすごく高くなる時期とあいまってデフォルトが急増。

しかし、借ります?20%の上昇を期待して、数年後に異常に上がる変動金利に手を出す人います?いたんですよね・・・。私が買ったころはそんなローンが存在していたかどうかは知らないけど、私のメインバンクだった Wells Fargoはそんなことしていなかったですよ。私、法定金利より高い7.5%くらいの金利払っていたもん。

ちなみに、Wells Fargoはこの混迷の中、米国の中でも最も財政が健全な銀行らしく、この前、NY TimesにWachoviaを買収と記事が載っていた。自分のメインバンクが、サブプライムで痛んでいないと聞くと、なぜか誇らしくなるのは何故?私って単純ですね。

しかも、このWells Fargoは、ゴールドラッシュの頃に資金源の供給者としてそのインフラを作った銀行です。いわば、シリコバレーの開拓者精神を作った銀行であり、シリコンバレーってやっぱり偉いなあって、私って相当バイアスかかっていますね(笑)

先日、アメリカに帰ったときに、資金運用者に「First of all, are you OK?」と聞いたけど、答えは当たり前のように「We are all right. In fact, a lot of people transfer the money to us because we are financially great!」とか何とか言っていた。まあ、聞かれて、うちはやばいです、と答える資金運用者もいないでしょうが、今回、記事になって、Mikeはけっこう正直ものだと感心した限りです。

しかし、そんな私も、アメリカのローンの仕組みには末端消費者ながら狐につままれたような体験もする。車のローンだったけれど、1年毎に貸し手が変わるのだ。その転換の仕組みといったら、サービスの質が最低と言われるアメリカとは思えないほどスムーズ。A社からB社に代わりますとお知らせのメール(郵便です)が届き、あなたは何もしなくていいからという。私はただ、貸し手が変わっても同じ金利を払い続ける。もちろん、貸し手の口座は変わるし、その間にも、ローン会社をこっちに変えたら、商品を変えたらこんなにいいことがあるわよ、と誘惑のメールが届く。

貸し手が変わるのは、企業買収もあるだろうけど、事業譲渡や商品の転売もあるだろう。ここまでは消費者にまだ推測のレベルで転売が見えるけど、それ以上の商品化があるとするとまったくわからなくなる。こっちは忙しいから、ローンを比べるなんて面倒なことはしなかった。そんな誘いにのっていたら、150万円の車を買うのに、ファイナンスを20回くらい変えたかも。

でも、こんな私の体験から、リチャード・クー氏が言う、サブプライムの市場のデフォルトとプライム市場のデフォルトが同じ市場規模だというのもうなずける。

私の体験にあるように、ローンは切り刻まれて金融商品の中に組み込まれ、またその商品が切り刻まれて別の商品に組み込まれている。借り手にはさっぱりわからないインターバンク間の取引が有象無象に発生していたのだろう。その結果、トータルでどれくらいの金融商品がサブプライムローンとその関連商品を組み込んでいるのか、当事者を含めて誰もわからなくなってしまったのがサブプライム問題。

もっとわからない投資銀行の仕組み。私は、D社社長に、投資銀行はバランスシートで仕事をしないからバランスシート外の負債がかさみ、破綻したと言った。それって、PLの利益がどこにも載らないってこと?んなことあるわけないでしょ。最後のほうは投資銀行も痛んでいたものね。

はい、次回、頭をクリアーにして考えます。

この話題はつまらないという方々に、久々に傑作短歌ができたので贈ります。

あさってになれば単なる昨日だけれど 今日の次だから大好き明日

なかなかのものではないでしょうか \(^o^)/

ずっと仕事・・・ってどう?

昨日、今日とずっと仕事をしている。おまけに朝からなぜかチャットがバンバン入ってきて気がついたらお昼になっていた。その間、ずっとベッドの中。私のキングサイズのベッドでは、横にいつもPCが寝ていたりして、まったく色気がない。

アメリカにいるお子様からもチャット、興に乗って、diggが30億の投資を受けた話をしたのに、なんか、このサイト〇〇をよく使っているなあって・・エンジニアってどうしてそっちに話しが行くのかしら (^・^) まあ、そういうの好きだからいいのだけれど。

Googleがニコ動は脅威じゃないって言っていたぞ!と話すと、脅威ってなあに、というので、Threatと教えた。脅威ってどう読むのというので「きょうい」と教えた。そのお返しに、彼の好きなビデオを教えてもらった。http://www.nicovideo.jp/watch/sm799909

だいぶ面白くて特した気分になった。みなさんもどうぞ。

元カレから仕事の相談などもされてしまった。

まとまった仕事も週末にするライフスタイルはどうなの?と思うのだけれど、友人と遊んでも別に気晴らしになるわけでもなく、こうして友人を失っていく私は人生の指針をどこに置けばいいのだろう。謎。

そこで、ライフワークバランスの続きです。

オルタナの森さんはモデレートが上手です。打ち合わせしているのに、予期しない質問で事を始める。

私の得意技といえば、アドリブなのですけど、その是非は別として、とにかく、その日は、森さんのおかげでその得意技が使えず、自分でも未熟だなあと、自己嫌悪にさいなまれ岐路についた。それほどに、素直になってしまった自分。

一番辛かったこと。10年間、そのことを思うと自然に涙が出るので話さないようにしてきた。20年たって、口を開いたら結局変わっていなかった。それをどんな風に克服したか?「克服なんてしていない。結局、自分で仕事も家庭もすべて壊した」そんなことを話して何になるのだろう?

最後にオーディエンスから質問をとったとき、あるエンジニアの人が「上司から厳しい評価を受けた。どう受け止めればいいのか。欝のような状態になっている」。

端正な顔をした人で繊細そうな人だった。あの時、よっぽど言おうと思った。パネルの後で10分話しましょう。上司から厳しい評価を受けたという言葉だけでは謎はとけないから、もう少し聞けば、それなりにヒントを与えてあげられたかもしれない。パソナテックさんに言っておくので、もし、まだ、悩んでいたら連絡ください。

会社が悪いのか、職種があわないのか、そもそも目標設定したときにできる目標だったのか・・。たとえ、自分が悪くても、自分を否定してはいけない。こんなんでつぶれちゃいけない。きっと生き生き働ける場所があるはず。

彼女はあなたに強さを求めた。でも、あなたは優しくすることしかできない。だったら、優しさを求める彼女を探せばいい。強さを求めた彼女も、数年したら、優しいということが一番強いことなのだとわかるかもしれない。そんなことだと・・・思います。

総じて感想としては、辻井さんみたいな優しい人になれたらいいと思いました。関係ないけど (-_-;)

人として・・・

先週の土曜に開かれたパソナテック10周年のパネルディスカッションにパネラーとして参加した。「ライフワークバランス」。

手元には赤と白のパネルがあり、最初の質問は、これからやるべきことが決まっている人は赤、そうでない人は白。パネラーの中で白を選択した人は私だけだった。隣のパタゴニアの辻井さんがそっとささやく。「気持ち、わかります」

この会社を将来○○○(書けないことが多いのです)。そのために、やるべきことは決まっている。私は自分の将来を99%決めている。

しかし、もし明日、私の前に火星人が現れ、彼に恋をしたら、私は火星に行ってしまうかもしれない。そんな可能性のことが言いたかっただけ。

私だって、10指に余るやりたいことがある。絶望するときだってある。そんなときは、私には何もやりたいことなどないのだと思う。

コミットって何のために、コミットって誰のために。仕事の枠を超えた自分にもう少し余裕を持たせてあげたい、と思っただけ。どんなビジョンよりも、どんなコミットよりも。

目指すべき煌く世界のために、目の前に拓けゆく世界のために、決められた社会の枠組みを突き破ろうとうごめき、這いずり回り、時には堕ちてゆき、それでも前進しつづけることを止めない-地球上の数ある動物の中、ヒトだけに許されたそんな生き様の可能性

By 垣根涼介