SNS雑感

Mixiにまったく馴染めなかったのは、私がターゲットユーザー層ではなかったのだろうと思います。匿名文化の日本の習慣が私のスタイルと合わないということもあるようです。2Chの存在価値は認めるし、いい情報があることも認めるけれど、やはり匿名の誹謗中傷は私の肌に合いません。いいたいことがあるなら、はっきり名を名乗ってほしいものです。

LinkedInは、日本であまり普及していないのでその価値がわかってもらえないが、アメリカにいれば、徹底的に利用していると思います。Facebookももうそろそろ色んなメディアと同期して使いまくりたい。両方とも記名。両方とも、広がりがあるとはいえ、クローズドなSNSです。

で、Twitterで定期的につぶやき始めてみました。適当な性格の私にとって、つぶやきくらいがいいみたいで、楽しくやっています。ただ、本当につぶやきたいことはつぶやけないので(笑)、ある程度は、自分のブランディングをするメディアなのだと思います。自分をどう見せたいか、、、ですね。マスメディアだと、露出時間は短いし、どうしても、メディア側の意向に合わせることが問われ、私ときたら意外とサービス精神旺盛なので、きつい経営者を期待されるとそのとおりにふるまってしまうんですよね。よって、まったく違ったブランドになりがちです。のりぴーも私も。大家を一緒にしちゃいけないですね(笑)

そんなことを思ったり、、、の衣替えに疲れた私でした。Twitterには、さらに物申したいことがあるのですが、それは、また次の機会に。

有線は速い!

わー、6月6日に雨ザーザーふってきて、、、から更新していないことを発見。先ほど、Twitterでブログアドレス聞いてくれた人がいて、サービスに更新しようと思った次第です。

で、 これだけは書くな、と羽交い絞めにされたネタをひとつ。最近、社内でちょっとしたお引越しをしました。私は、平場が好きで、部屋を持つのを拒否していたのだけど、MAがらみのお話とかを電話で平気でしてしまうのもいかがなものかと、オープンだけどちょっとした囲み空間をつくられてしまいました。総務も苦労しているね、ごめんね。で、無線LANとか有線とか新しいデスクでためしていたんだけど、やっぱり有線は早いよ!どうしてかわからないけど、やっぱ有線だね、体感速度が違う、、、とまたまたみんなに豪語していました。みんなは「そうっすか?」みたいな、感じで、まあ、無視状態。

で、ある日、また、レッツノートを壊してしまい、情シスに叱られながら 直ったPCを試していると、なぜか無線LANがワークしない。馬場くんにきてもらって、設定を変えてもらったり、そのあたりのメカバカぶりは社外には話せないことなのだけど、馬鹿だから仕方ない。しかし、、、、馬場君もってしても、有線がワークしないこと判明。「石黒さん、ここ、有線きてましたっけ?」「あるよ、あるよ、この黄色いコード、これ入れるとね、また、早いんだ。やっぱ、体感速度違うよ」と、またまた豪語。馬場君、じっと線を見る。「石黒さん、これ、電話コードっすよ」・・・・だって、固定電話はうちないし、、、なんで、こんなところに電話コード、それも、これ見よがしに繋いでくださいとばかりに机の上に黄色いコード置いておくんだ!有線だって思ったじゃないか!

あの体感速度はなんだったのだろう?電話線つないで、速いって言っていた。。。

短歌 – 君

君に触れしたたかに浸り瞬きつ時が過ぎゆく未完成の日

激しさのあとに流れる静かさを 幸せと呼ぶと君が教える

生きつきて夜空の星になったなら君の横にいていいですか?

安らぎってこんなに心地よいものだった君の寝顔を見ながら想う

帰りたくて帰るわけじゃないんだよ 君の言葉が悲しい3時

疲れてる君をしっかり休ませたいと胸に頭を「そっと」おくだけ

アイシテル 来世があればそのときも一緒にいてくれますか、ねえ君?

YouTube言葉少ない君からの精一杯のプレゼント・・

バニラ味のキャンドルがゆれ君がゆれ 君が離さず君を離さず

教会再デビュー

ちょっと前の日曜に、2年ぶりくらいに教会に行ってきました。

お知り合いの方の病が重く、こういうときは昔の人はお百度踏むのだろうな、、、。そっちのほうが努力している感じで願いがかないそう。

秋ごろから、自分の健康状態に疑問を持っていましたが、自分のことは神頼みでもないなと思い、ひたすらインターネット頼み(笑)。その晩は、なんだか落ち着かず、結局、一睡もできず。ほんと、自分のへなちょこっぷりに、まいりました。

でも、やはり、自分自身も、節目の日だと思い、明日から何があっても頑張れるように・・・っていうお祈りもしました。

私と教会は結びつきにくいと思うのですが、2年くらい通っていたことがあります。生粋の無神論者、科学以外信じない私ですから、その2年というものの、大和先生のお説教を聞くたびに「ありえない。ありえない。ありえない」。じゃあ、行かなければいいじゃんと思うのですが、生きているうちに自分以外に信じるものを見つけるのが目標というまたまた上目線の試み、AIDSから立ち直った友人がいたり、2年ほど通いました。その教会は、ヒルズのいい感じの場所にあって、散歩がてら、日曜の麻布近辺を歩くのもいいものです。12時からのランチサービスが200円でけっこう体にいいものを出してくれるので、それを食べて仕事にかかるというのも気に入っていました。

ひさしぶりでみんなが驚いて「何してたの?ちょっと感じが変わった。すごく幸せそうな顔をしている。わかった、結婚したんでしょ?幸せを独り占めするのは駄目よ」・・・・・

違いますって。

Kot君が相変わらず体が弱く、そうだ、厄除けしてこようと今年は川崎大師も行ったし、初詣なんて10年ぶりくらいでした。話はそれますが、あのビジネスは儲かりますね。Kot君と初詣に来る人の数から年間のお賽銭の総額をはじき出していたのですが、お賽銭だけでネットイヤーを優に越える売上げにはなりますね。しかも、それってコアビジネスじゃないですからね。モデル的にはディズニーと似ていると思いました。あっ、そういえば、去年は初詣に行ったのでした。これは、神頼みと言うよりデートなので数にはいれないことにします。

教会を思いついたのは、最近お知り合いになって尊敬している方から本を紹介してもらって、ちょっと新しい風を心に入れてみたかったのも理由のひとつです。ずっと、すごく強い意思で生きてきたつもりなのですね。運命なんて信じていないし、すべて自分が判断していく。運命って受け入れるものじゃなくて切り開くもの。

でも、浅くしか読めていないと思うのですが、その本には、「生かされている」と書いてありました。こういう考え方には徹底的に反抗してきたのです。今まで、だれが何と言っても考え方を変えませんでした。でも、彼が言うように、本との出合いは、そのときの自分の状況とか考え方に影響される。だから、彼が好きなものに、ちょっと本気で立ち向かってみたいと思う気持ちが、自分に少しだけ幅を持たせたのだと思います。まだ、生かされているとは思っていませんが、少なくとも、出発点である生を受けたときは、自分の選択でないことに改めて気付きました。言葉を変えれば、生の出発点と終点は自分では選べない、ということには、気付いていなかった。ちょっと傲慢な気持ちを抑えることにしました。

そうすると、大和先生のお説教も前よりは素直に聞きました。信じること、待つこと。

ランチサービスのとき、友人に会い、先生に隠れて占いを勉強している彼女が占いを信じない私に、「あなたは、手前勝手な生まれ年だけど(32年の方へ警告ですよぉ。特に男性はそうなんですって(笑))、山の相も持っているからね。どーんと構えて人助けするのがいいのよぉ」なんて言われて、こういうのも素直に聞いておこうと思ったのは進歩でしょうか?

そういえば、オバマ大統領の演説に一票。

時計

この時計を買ったのは、もう5年も前になるでしょうか?さっきから、長針が1分ずつ動いていくのをずっと見つめています。

この時計は、私の前のアメリカの家のそばにできた鳴り物入りのショッピングモールの一角で買ったものです。なんとなく、この緑色が気に入って。Vaseも一緒に買いました。Kaiに、この店で400ドルを散在するのは君が初めての人だと思うよ、と笑われながら。

この一分で何が起こっているのか、私にはわかりません。この一分なのか、次の一分なのか、私にはわかりません。もしかすると、もう終わってしまっているのかも。

そこに一緒にいてあげられない自分がもどかしい。こうして時計を見つめているだけです。

もっと人生がコントロールできれば、簡単なのに。オレンジを食べれば風邪が治るとか、一生懸命勉強すれば100点がとれるとか・・・。

君にあまりに影響力が大きかった人が逝ってしまうのは、Fairなことなのでしょうか?・・・・・でも、良きにつけ悪しきにつけ、それは君のために起こることなのです。

今はわからないことも、いつか、わかる。それは君を成長させます。

今からは君がCenter。もっとたくさんの人にもっと与えてください。

だから、自分を大事にしてください。無理しないで。

fujiyo

正常とマジョリティー

私は心臓に欠陥があります。房室ブロックという病気で、心臓の専門以外の先生と話すと、「大丈夫か?立っていられるか?ペースメーカーを入れているか?」とたたみかけるように質問されます。

心室と心房の間がなんらかの理由でブロックされてしまって、脳波が脈を打つ信号として機能していません。この病気は、人生の途中でdevelopする人が(変な言い方、思いつかない)ほとんどなのですが、その場合は、死んでしまう人もけっこういるとか・・。でも、私は生まれつきの欠陥なので全く問題はないと思っています。

そもそも、心臓の機能としては正常で、単に信号がブロックされているだけで、信号をスムーズに送るシステムさえ付加すれば、全く普通の人と一緒です。このシステムをつくるためには、通常、ペースメーカーを必要としますが、生まれつきの場合は、心臓への負担をあまり認識しないため、私は、10年ほど前までペースメーカーなしで過ごしてきました。

脈拍は常に40くらい。運動をしても、お酒を飲んでもずーっと40くらいです。私は、中学・高校・大学と体育会のキャプテンだったし、マラソンもトップでした。本当になんともないのです。

先生としては、少しでも早く入れたかったみたいですが、私も、40歳くらいになって、他の病気で手術が続き、そのたびに、ペースメーカーを入れていないと危ない!と先生方があせってしまうことが多く、じゃあ、もうそろそろ入れようかなって、ペースメーカーを入れました。ちなみに、アメリカの麻酔術というのは進んでいるのだなと思うことが多く、専門も細分化されていて、心臓麻酔外科なるものもいたりして便利でした。

ペースメーカー装着後、ペースメーカーと心臓をつなぐリードという線がなぜか2回も壊れて再手術。それも、壊れたことを知らなくて、半年くらい放置しておいたこともあります。

アメリカでチェックに行ったら、先生が真っ青な顔をして、今すぐ手術したいって。でも、私はその日、東海岸でスピーチが入っていたので、そんなことはできないと東に飛んでしまいました。先生は、拝むようにして、頼むからいかないでくれ、と言いましたが、すでに、半年間、ペースメーカーなしで過ごしていたのですから、2.3日なしでも、何も変わるわけではないと思い、先生を振り切って飛行機に乗ってしまったこともあります。

東から帰った日に、また病院に立ち寄る約束をしていたのですが、当日も私は手術をする気などさらさらなく、先生は「食事はしたのか?」「しましたよ」(手術前は絶食をするみたいで)「そうか(がっかり)」「いや、そういえば、食事をしたというのは、東時間か西時間か?」とあくまで食い下がるのですが「もう、いいから」と私は帰ってしまい、週末ゆっくりしてから再手術にのぞみました。

ただ、わりと知られていないのですが、ペースメーカーの手術は心臓の手術では最も簡単な手術で、部分麻酔ですし、手術時間も30分くらいなのです。手術中に、先生たちが、アメリカンフットボールの試合の話しをしながら執刀しているので、ちょっと、やめてほしいなと思ったこともあります。

ペースメーカーを入れたおかげで、ある意味、人より丈夫になりました。脳死をしても生きているみたいです。サイボーグっぽいですよね。

実は、私は腎臓がひとつしかありません。これも生まれつきみたいです。でも、心臓と同様に何でもないのです。ひとつしかないとわかったのが大学のときに初めて超音波をしたときですから、本当になんでもないのだなって。腎臓はひとつでいいのだそうです。事故とかでひとつなくなっちゃうと困るくらいのことだそうです。

ほかにも、けっこう病気をしました。でも、今まで、痛い思いをしたことがないし、心臓が悪くても腎臓がひとつしかなくても、すごく普通に過ごしています。

ということで、私なりの認識にたどり着きました。前置きが長くなったけど、これが言いたかったのです。

まったく自分では気付かないのだけれど、指摘されてみて初めて、自分の体は人と違うのだなと認識しました。でも、私のこの体は、私にとっては普通であり、先生方が異常だと私に認めさせようとしているだけでした。「先生、私これでいいんだもの。ほっておいてください」

そんなわけで、正常(スタンダード)って何なのだろうと思いました。つまり、今、普通と呼ばれている人たちの体は、それがマジョリティーであるゆえに正常と呼ばれているにすぎないということです。極端な話、健康だけにとどまらないのですが、例えば、心臓がひとつあるのがスタンダード=正常で、心臓が2つあれば異常とよばれるのでしょうが、誰が心臓がひとつが正常だと決めたのでしょう?

障害を抱えた人たちは、社会制度により守られる方向にはありますが、もともと差別される傾向にあります。ハーバードのケースでも、アメリカの鶏が今ではみんなコンタクトレンズをするようになった、そのビジネスアイデアを思いついたきっかけは、白内障の鶏がほかの鶏につつかれて死んでいくのを目撃したからです。どうやら異常であることは動物界では差別の対象であるらしいです。

そう、何の権限があって、正常や異常という判断をするのだろうということです。だから、せめて意思のある人間界では、正常か異常かじゃなくて、マジョリティーとマイノリティーという統計学的な区分けでかまわないと思うのです。

趣味は恋愛

メディアの方々が、どこからかこの情報を仕入れ、「そういえば、趣味は恋愛っていうところ、もう少し詳しく教えてください」って、聞かれることが多くなりました。

人事からも露出は控えろとお達しがあったばかりなのに、この話題が日経新聞に載りそうで広報のSちゃんはあせっています。インタビューの間、相当引きながら「汗・汗」って言っていました。ちなみに、インタビューのときの彼女のtypical behaviorは「上目線、上目線」 と私を叱責しながらも、大笑いしてタイプを打ちまくっています。

以前の広報担当の人は、守りの広報で、私が失言すると「すみません。今の石黒の発言ですが、○○のようにしてください!」とビシバシ訂正が入り、自分の存在意義を疑ったものですが、Sちゃんは、営業出身なので、相当楽観主義で、ゆる~い感じで許容度も高く、わたしのままを出させてくれるので、満足しています。その結果、暴走気味でこの趣味が一人歩きしています。

第一、そんな趣味あるわけないですよね。ただ、趣味は何?というご質問に、物事にこだわらない私としてはこれっていう趣味を意識したことないし、そういうと仕事が趣味ですかって言われて、そんなこと絶対ないし、じゃあ、人をエンターテインすることとか、そもそも人が好きなので、「とらばーゆ」からインタビューを受けたときに恋愛かなって言ったら、それが本になって、 デファクトになってしまったみたいです。

そこで、rationalizationを考えてみました。といいますか、Sちゃんも交え、取材の間、ほぼグループディスカッション状態だったのですが、結論としては、まあ、綺麗になるとか、ドキドキ感がいいですね、なんていうのは、IT系としては少々顰蹙なのでやめることにしました。

最近感じることは、やはり、優しくなりますね。

それとビジネス書も読まず、教えてもらうことが嫌いだと公言してはばからない私も、好きな人を見ていると、特に自分と違っている部分を見て、自分を反省することも多くなりますね。

その人に好かれようとすると、その人にだけじゃなく「万人に」いい人になれるのは、やはり、恋愛の効用かと、、。

素直になります。自分が普段出せない部分を出していいんだって思える人に出会うといいのかもしれません。

とはいえ、色んな派生用語が生まれました。

石黒さんって、要するに青田刈りだけってこと?

by maiko

おまえ、そんなこと言っているからボーイフレンドできないんだよ

by shogo

へえ、趣味が恋愛!石黒さんと一緒だ。おまえ、出世するよ

by ネットイヤーの面接官

村上春樹さんのエルサレム賞でのスピーチ

最近、村上春樹さんがエルサレム賞を受賞したときの「壁と卵」のスピーチが圧巻なのでちょっとコピーして、訳してみました。

So I have come to Jerusalem. I have a come as a novelist, that is – a spinner of lies.

Novelists aren’t the only ones who tell lies – politicians do (sorry, Mr. President) – and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren’t prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get.

The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It’s hard to grasp the truth in its entirety – so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.

Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.

When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?

I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I’m told. It’s in my nature as a novelist. Novelists can’t trust anything they haven’t seen with their own eyes or touched with their own hands. So I chose to see. I chose to speak here rather than say nothing.
So here is what I have come to say.

If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.

Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.

I have only one purpose in writing novels, that is to draw out the unique divinity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So – I write stories of life, love. Make people laugh and cry.

We are all human beings, individuals, fragile eggs. We have no hope against the wall: it’s too high, too dark, too cold. To fight the wall, we must join our souls together for warmth, strength. We must not let the system control us – create who we are. It is we who created the system.

I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.

エルサレムにやってきました。小説家として。嘘を紡ぐ職業である小説家です。

小説家というのは、嘘をつくものです。他には政治家とか外交官とかも嘘をつく。大統領、ごめんなさい。でも、小説家の嘘の特長というのは、小説家は嘘をついても罰せられないことです。むしろ、褒められる。大きい嘘であればあるほど、もっと褒められるわけです。

小説家の嘘と他の人がつく嘘の違いは、僕たちの嘘は真実を導き出すことです。真実を完全に見極めることは難しい。だから、僕たちはそれをフィクションの世界に展開します。でも、その前に自分たちのどこに真実があるのかを明らかにしなければなりません。

今日、僕は真実を述べます。僕が嘘をつかない日は年に何日もあることではありません。今日はその数少ない日のひとつです。

僕がこの賞を受けるにあたって、ガザ紛争があるから行くべきでないと何人もの人が僕をとめました。小説家とは言われたことと反対のことをするものです。小説家は、何でも自分の目で見て手で触れてみなければ信じることはありません。みんなここに来るのを反対しました。だから、僕は、ここに来ました。何も言わないよりも、あえて言うことを選んだのです。

もし、堅くて高い壁があり、それを壊そうとする卵があるなら、どんなに壁が正しくても、どんなに卵が間違っていても、僕は、卵の側に立ちます。

なぜなら、私たち一人ひとりが卵であるから、壊れやすい殻に包まれた固有の魂を持つ卵なのです。ひとりひとりが高い壁に対峙しています。高い壁はシステムです。そのシステムは私たち個人が普段行いたくないようなことを強制します。

僕が小説を書く目的はひとつ。人々の神がかったような個性を引き出したいだけです。固有であることを尊び、システムのもつれから私たちを解き放ち、命と愛の物語を書きます。人々を笑わせ、そして、泣かせてみせます。

私たちは、みな、人間であり、個人であり、壊れやすい卵です。壁に立ち向かって勝てるはずもありません。壁は高く暗く冷たいのです。だから、壁に立ち向かうためには、暖かで強い魂を紡がなければ。システムに私たちをコントロールさせてはなりません。システムを創ったのは私たちだからです。

イスラエルの読者の方々へ、私が言ったことから何かを見出してほしいのです。それが、私がここに来た一番大きな理由なのです。

って、直訳ですが、ガザ紛争のイスラエルにて、あえて、これを言うのはすごいなって思います。

Silicon Valleyで暮らしていた頃、スタートアップで大成功を収めたイスラエル人たちと仲良くなりました。彼らは、10億円くらいの家をかの地に持っていましたが、普段はイスラエルで暮らし、一年のうち一ヶ月をSilicon Valleyで過ごしていました。子供の友人がそのイスラエル人家族の息子さんでした。クラスでもずば抜けて優秀な成績をおさめていたその子。

「大きくなったら、何になるの?」私が質問すると彼は「僕は、大きくなったらイスラエルで兵士になる。そして、イスラエルのために戦う」

村上春樹はすごいと思うけど、私は、そんな歴史を背負っている人たちにどんな言葉をかけていいか、今だに、わからない、、、のです。

ひさしぶり短歌

限りある命とあれば思うこといつもと違う大切さ

何ゆえに生まれ何ゆえ死んでゆくせめてわかって死にたいと思う

認められることっていいねと友に言われその意味さえもむなしく響く

誕生日12時に響く着信音メールを開けて君がいて

まだ恋と呼べないけれど君のこともっと知りたくRSS

ん、それで?不必要に近い距離、君の優しさモーメントかな