情報取得の裁量権

先日、某TV局の方々とご一緒したときに、話題になったこと。実は、私も、そのことをよく考えるのだが、自分でもわからなくて、話に入るというより、ついつい黙りこくる。そして、5年後に思いをはせた。

インターネットの登場で情報過多の時代と言われる。誰もがメディアを持っているので数が増えれば相対的な価値が落ちるのは当たり前の話だ。需要は一定なのだから(正確に言えば、違う。ビジネスモデルとして広告サポート型が増えているので、課金モデルとしての需要はむしろ減っている。Bad news!)、供給過剰となり、価格は低下する。

しかし、私たちはこの有り余る情報をどう処理すればいいのだろう。新聞というのは、考えてみれば私たちの社会を20何ページの紙面に凝縮したすごい媒体だ。新聞にピックアップされる記事が、私たちの政治であり経済でありスポーツで社会だ。私たちは、毎日届けられる新聞を通じて、日本で起こっていること、世界で起こっていることを判断する。おまけに、なんら興味のないスポーツまでにも目を通すことになり、それなりの知識も得る。埼玉県で起こった殺人事件も報道されなければ、私の世界には一生飛び込んでくることはない。大げさにいえば、新聞社がピックする情報により、私の人格の一部が形成されていく。

新聞社の人と話していて改めて思ったことだが、彼らが何を一面にするかは毎日の一大事らしい。一面に取り上げられた記事で社会も経済も動く。それが、たとえオピニオンでなく事実であったとしても、何を一面に置くかには新聞社としての思想が反映される。テレビもこれと同じような性格を持つ。どのニュースをトップニュースとするか、どのニュースを放映するかで、人々は自分たちが置かれている環境を判断することになる。

わが社にも新聞社の人が取材に来てくれる。取材後、何日の何ページに載る模様と伝えられる。必ず、注意事項付きだ。当日、すごいニュースがあった場合には、載らなくなるかもしれません。悪しからず・・・。そう、情報の重みは彼らの判断に任せられている。

情報が国家により統制がされている国では、これがさらに顕著な事象となる。明らかに重大なことでも、情報は伝えられない。言論が捻じ曲げて伝えられる。それを受け取る国民は、現実を曲解することとなり、それが思想となっていく。

だから、既存のマスメディアは明らかに情報伝達の裁量権を持ったメディアだった。それゆえ、メディアには公正性が求められ、日本という国に生きている限り、ある程度はこの公平性が担保されていたのだと思う。

しかし、インターネットではどうだ?私は、アメリカにいる頃、Wall Street Journal を愛読していた。デジタル版ができたので、それをカスタマイズした。何に興味がありますか?答え:テクノロジーだけ届けておくれ!かくして、私のメールのInboxにはテクノロジーのニュースだけが届くようになった(今だにこれは変わらない)。情報取得が簡単になり私は嬉々として喜んだ。毎日の仕事が楽になった。

そして、私の世界は一挙に縮まった。テクノロジーだけの毎日。政治への関心・スポーツへの興味が自然に薄れる。少なくとも紙面を開き、それらの情報が強制的に目に飛び込むことはなくなった。そして、私の世界は深いが狭いものとなっていった。

いい悪いの議論と結論には、まだ何年もを要するのだろう。情報をピックする裁量権は個人の力にゆだねられた。平均的な情報というものがなくなっていく。

「情報取得の裁量権」への2件のフィードバック

  1. それが、いわゆるマスメディアの最大の価値であり役目である「アジェンダ設定」というものですね。

    昔堀江さんが、テレビで「ニュースは読者が決めるべきだ」といっていて、それは恐ろしいと思ったのですが、5年たち現実のものになりました。

    いまやポジショングトークと、下世話な興味が大きくニュースの価値を占めるようになり、ジンバブエの現状やパレスチナの課題は語られることはなくなっていきます。いい悪いの判断としては、主観として「明らかに悪い」と考えます。

    社会の木鐸は、万人がするものとしては成り立たないのです。このままでは社会は、ゴシップに満ちた世界になる気がします。人の良識や善を信じるとかいうレベルの話ではなく、社会の興味の最大公約数をとるとそこに落ち着かざるを得ないという物理的な話として。

  2. さすが、メディアの専門家ですね!情報量が増えるところでは、最大公約数をとると、やはり、質の低下は避けられない気がします。

    個々では、ソーシャルブックマークなんかを利用して、質のいい情報を得る方法はありますよね。でも、それをしようとしない人たちに、質のいい情報や人として知らなくてはいけないニュースを届けることが全体の力を上げることであり、それだと、新聞みたいにリアルな世界で嫌が上にも届けられてしまう、という状態は底上げという点で極めて健康的なシステムであり、ネットだけで完結しないシステムがかえってよかったわけですね。

    どうしよう・・・あせってきた。

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