I love Steve Jobs.

誰もが感じるように、Steve Jobsは、私のヒーローだった。生意気な私には、ずっとヒーローなんていなかった。でも、ずいぶん年をとってから、私にはヒーローができた。Steve Jobs.

本にも書いたし、スピーチでも話したけど、私には、生涯最高の思い出がある。これも、なんでもかんでも、すぐ忘れてしまう私にはとっても珍しいことだ。

私は、そのとき、年甲斐もなくStanford大学のビジネススクールに通っていて、とてもベタなクラブに所属していた。ハイテククラブ。ハイテク好きの人が集まっているクラブだ。普通の学校みたいに、Stanfordのビジネススクールにもクラブ活動があって勧誘の日がある。ラグビー部もあったし、起業家クラブみたいなのもあったし、ゲイレズビアンクラブっていうのもあった。それが一同に介して中庭みたいなところで勧誘しているのが不思議だった。みんなが声をかけてくれたけど、私はひとつ返事でハイテククラブに入った。

ハイテククラブもこれまたベタなクラブで、何をするかというと、シリコンバレーのハイテク企業の創業者やCEOを呼んでスピーチをしてもらうのがメインの活動だった。でも、これがいいんだよ。だって、ビルゲイツやラリーエリソンや、ちょっとやそってで会えない人たちがちゃんと来てくれたりする。Stanford大学はやっぱりシリコンバレーをつくっただけあって、いい学校に入ったなって自分ながら満足していた。

あるとき、Steve Jobsを呼ぼうよっていうことになった。その頃、1993年、Steve Jobsを呼ぶことはかなり難しかった。なぜなら、彼がでっかすぎるということでもなくて(もちろん、でっかいよ)、その頃は私たちは、Appleはきっとつぶれちゃうんだと思っていて、JobsはAppleを首になり、NeXTやPixarというすごい会社のCEOだったけど、JobsはMacをつくったということだけですでに私たちのヒーローだったけど、そんな、落ち込んでいるJobsが来てくれるわけがないと思っていた。でも、Jobsは、いいよって言ってくれた。

私たちは、500人も入れるような大きな教室でJobsを迎えず、ハイテククラブのメンバーだけで迎えるという贅沢な方法をとった。もしかすると、そのときのJobsでは500人を集められないと思ったのかもしれない。あるリッチな学生の家のリビングで彼を迎えた。

私たちも大人だからw、彼にどんな質問をすればいいかはわかっている。私たちは、NeXTやPixarや、色んな当たり障りのないことをJobsを囲んで話しながらビールを飲みピザを食べていた。その頃までのJobsは、シリコンバレーでは、一緒に働きにくい一番の人として有名で、きっとストイックな人だから、やんちゃ坊主とかいつも怒鳴り散らしていると有名だった、、、けど、そのときのJobsはとても優しかった。静かに私たちと談笑しながら私たちに付き合ってくれた。

どこの世界にもKYな人っているもんで、もうお開きになるという時に、ある女学生が質問した。

「首になったときは、どんなだったんですか?」私たちは、もう、冷や汗。

でも、Jobsは、そのときも静かに私たちと対面してくれた。

「僕は、休暇中だった。浜辺にいたんだ。携帯電話が鳴った。そして、「お前は首だ」と告げられたんだよ」

私たちは言葉をなくした。

kYな人は続ける。

「そのとき、どう思ったんですか」私たちは、Jobsはもう答えないだろうと思った。

Jobsは続けた。

「その時?、、、、、僕は自分がその電話をとっていると思えなかった。自分に双子の弟がいて彼がその電話をとっていると思ったんだ」

それだけ。

私たちは、何を感じたのだろう。私は、Jobsでも痛いんだ、と思った。シリコンバレーは失敗を許す地域、失敗してもいい、私たちはそう教えられたけど、失敗はJobsでもつらい体験なんだ。自分が作った会社を追われる体験は辛いとは思うけど、Jobsなら大丈夫かなって、ちょっと思っていた。でも、当たり前だけど、それは違っていた。

Jobsの気持ちを一介の私がわかるわけがない。でも、あれから、15年以上がたち、JobsはAppleに返り咲き、その会社を世界一の会社にした。失敗と呼べるかどうかわからないけど、あの失敗がなかったら、Appleの成功はなかったんじゃないかと思ったりもする。

Jobsが教えてくれたことを忘れない。1955-2011 Jobsが生きていた時に、生きていることができて幸せでした。Thank you, Steve Jobs.

fujiyo

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