日本が世界を救う日

昨年末に、親しい友人二人と会った。私の友人といえばIT系の人たちが俄然多いのだが、ファイナンス系の友人も何人かいて、彼らは、その部類の人たちだ。Aは外資系金融機関を経て、起業した友人。Bは国内の金融機関の経営陣の一人で仕事の大半を海外で過ごす。私は、実は一部の人の考えているほどファイナンスに強いわけではない。逆説的だが、とはいえ、一応ざーっと、かなり雑ですがw、ビジネススクールで勉強しているので、日本のファイナンス業界が米国のそれに比べ相当遅れていることは知っている。そんな私から見て、この二人は、日本のファイナンス業界の中でも、知識的にトップを極めていると思っている。早い話が、米国の投資銀行業務に精通しているのがこの二人なのだ。

その二人との会話がけっこう頭から離れない。何が起こったかいうと、二人が弱音を吐いただけのこと。しかし、私にとっては、この二人の吐いた弱音は重い意味を持つ。

詳しい会話は省くが、結局Aが吐いた弱音は、米国がリードしてきた投資銀行のあり方自体がぐらついているということで、Bが吐いた弱音は、銀行業務は結局実態が伴わなければならないということだった。

リーマン以降、表面上はインベストメントバンクはなくなってしまったわけだし、実態が伴わない経済はバブルの崩壊として私たちの生活に大きな影響を及ぼしているわけだから、なんらコメントに新しさはない。でも、彼らが言ったことは親しい友人としての私には弱音に聞こえたし、それは、つまり、業界の自信の喪失のように思えた。もっと言えば、彼らは自分たちが信じてきた原理が不変でなくなったと感じているのだ。

現実には、2010年は2番底が来ると言われ、それは避けられ、低迷していた日本経済も2011年は明るい予測が大方を占めているから余計なお世話かもしれない。

私もかねがね自由競争主義を肯定し、市場原理主義が悪いのではなく、そのやり方が悪かったのだと主張してきた。しかし、この市場原理主義がコントロール不能な複雑系になってしまったことがリーマンショックという結果を招いた。つまり、コントロール不能は、「やり方」ではなく、「市場原理主義に内包されている原理」ではないかと疑っているのだ。

新年から、暗い話題を出すつもりはない。何が言いたいのかというと、日本という国、その国民性、具体的に言うと、豊かさだけが幸福と思っていない希有な国民性が世界を救うこともあるのかなぁと予感たりもするのだよ。

グローバル競争において、まさしく敗者の烙印を押されている日本。世界経済の地盤が変容している中で、この国民性や文化をどうやって勝因にするかが、企業トップに求められているようは気が急にしてきたw 今年は、あまり単純に考えず、基本に戻って、教科書からもはみ出して戦略を立てよう。とりあえず、1月8日の会議に向けて、じっくり考えてみるよ。

「日本が世界を救う日」への1件のフィードバック

  1. 豊かさだけが幸福と思っていない国民性。
    確かにそうでした。
    ただ、「格差社会」を過剰に取り上げる風潮は、仕事、賃金で差をつけられることイコール幸せではない、と断じているような気がしてなりません。
    「格差」を強調すれば、それこそ、アングロサクソン的世界にはまり込んでいくような…。
    穏やかな気持ちで、昨日と同じ今日を、あるいは明日を生きていける。
    それが本来の日本人ではないかと思います。
    そんな日本人像を取り戻すことができるようなビジネスができたなら、素晴らしいでしょう。
    トップとしての石黒さんに期待しています。

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