教会再デビュー

ちょっと前の日曜に、2年ぶりくらいに教会に行ってきました。

お知り合いの方の病が重く、こういうときは昔の人はお百度踏むのだろうな、、、。そっちのほうが努力している感じで願いがかないそう。

秋ごろから、自分の健康状態に疑問を持っていましたが、自分のことは神頼みでもないなと思い、ひたすらインターネット頼み(笑)。その晩は、なんだか落ち着かず、結局、一睡もできず。ほんと、自分のへなちょこっぷりに、まいりました。

でも、やはり、自分自身も、節目の日だと思い、明日から何があっても頑張れるように・・・っていうお祈りもしました。

私と教会は結びつきにくいと思うのですが、2年くらい通っていたことがあります。生粋の無神論者、科学以外信じない私ですから、その2年というものの、大和先生のお説教を聞くたびに「ありえない。ありえない。ありえない」。じゃあ、行かなければいいじゃんと思うのですが、生きているうちに自分以外に信じるものを見つけるのが目標というまたまた上目線の試み、AIDSから立ち直った友人がいたり、2年ほど通いました。その教会は、ヒルズのいい感じの場所にあって、散歩がてら、日曜の麻布近辺を歩くのもいいものです。12時からのランチサービスが200円でけっこう体にいいものを出してくれるので、それを食べて仕事にかかるというのも気に入っていました。

ひさしぶりでみんなが驚いて「何してたの?ちょっと感じが変わった。すごく幸せそうな顔をしている。わかった、結婚したんでしょ?幸せを独り占めするのは駄目よ」・・・・・

違いますって。

Kot君が相変わらず体が弱く、そうだ、厄除けしてこようと今年は川崎大師も行ったし、初詣なんて10年ぶりくらいでした。話はそれますが、あのビジネスは儲かりますね。Kot君と初詣に来る人の数から年間のお賽銭の総額をはじき出していたのですが、お賽銭だけでネットイヤーを優に越える売上げにはなりますね。しかも、それってコアビジネスじゃないですからね。モデル的にはディズニーと似ていると思いました。あっ、そういえば、去年は初詣に行ったのでした。これは、神頼みと言うよりデートなので数にはいれないことにします。

教会を思いついたのは、最近お知り合いになって尊敬している方から本を紹介してもらって、ちょっと新しい風を心に入れてみたかったのも理由のひとつです。ずっと、すごく強い意思で生きてきたつもりなのですね。運命なんて信じていないし、すべて自分が判断していく。運命って受け入れるものじゃなくて切り開くもの。

でも、浅くしか読めていないと思うのですが、その本には、「生かされている」と書いてありました。こういう考え方には徹底的に反抗してきたのです。今まで、だれが何と言っても考え方を変えませんでした。でも、彼が言うように、本との出合いは、そのときの自分の状況とか考え方に影響される。だから、彼が好きなものに、ちょっと本気で立ち向かってみたいと思う気持ちが、自分に少しだけ幅を持たせたのだと思います。まだ、生かされているとは思っていませんが、少なくとも、出発点である生を受けたときは、自分の選択でないことに改めて気付きました。言葉を変えれば、生の出発点と終点は自分では選べない、ということには、気付いていなかった。ちょっと傲慢な気持ちを抑えることにしました。

そうすると、大和先生のお説教も前よりは素直に聞きました。信じること、待つこと。

ランチサービスのとき、友人に会い、先生に隠れて占いを勉強している彼女が占いを信じない私に、「あなたは、手前勝手な生まれ年だけど(32年の方へ警告ですよぉ。特に男性はそうなんですって(笑))、山の相も持っているからね。どーんと構えて人助けするのがいいのよぉ」なんて言われて、こういうのも素直に聞いておこうと思ったのは進歩でしょうか?

そういえば、オバマ大統領の演説に一票。

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