正常とマジョリティー

私は心臓に欠陥があります。房室ブロックという病気で、心臓の専門以外の先生と話すと、「大丈夫か?立っていられるか?ペースメーカーを入れているか?」とたたみかけるように質問されます。

心室と心房の間がなんらかの理由でブロックされてしまって、脳波が脈を打つ信号として機能していません。この病気は、人生の途中でdevelopする人が(変な言い方、思いつかない)ほとんどなのですが、その場合は、死んでしまう人もけっこういるとか・・。でも、私は生まれつきの欠陥なので全く問題はないと思っています。

そもそも、心臓の機能としては正常で、単に信号がブロックされているだけで、信号をスムーズに送るシステムさえ付加すれば、全く普通の人と一緒です。このシステムをつくるためには、通常、ペースメーカーを必要としますが、生まれつきの場合は、心臓への負担をあまり認識しないため、私は、10年ほど前までペースメーカーなしで過ごしてきました。

脈拍は常に40くらい。運動をしても、お酒を飲んでもずーっと40くらいです。私は、中学・高校・大学と体育会のキャプテンだったし、マラソンもトップでした。本当になんともないのです。

先生としては、少しでも早く入れたかったみたいですが、私も、40歳くらいになって、他の病気で手術が続き、そのたびに、ペースメーカーを入れていないと危ない!と先生方があせってしまうことが多く、じゃあ、もうそろそろ入れようかなって、ペースメーカーを入れました。ちなみに、アメリカの麻酔術というのは進んでいるのだなと思うことが多く、専門も細分化されていて、心臓麻酔外科なるものもいたりして便利でした。

ペースメーカー装着後、ペースメーカーと心臓をつなぐリードという線がなぜか2回も壊れて再手術。それも、壊れたことを知らなくて、半年くらい放置しておいたこともあります。

アメリカでチェックに行ったら、先生が真っ青な顔をして、今すぐ手術したいって。でも、私はその日、東海岸でスピーチが入っていたので、そんなことはできないと東に飛んでしまいました。先生は、拝むようにして、頼むからいかないでくれ、と言いましたが、すでに、半年間、ペースメーカーなしで過ごしていたのですから、2.3日なしでも、何も変わるわけではないと思い、先生を振り切って飛行機に乗ってしまったこともあります。

東から帰った日に、また病院に立ち寄る約束をしていたのですが、当日も私は手術をする気などさらさらなく、先生は「食事はしたのか?」「しましたよ」(手術前は絶食をするみたいで)「そうか(がっかり)」「いや、そういえば、食事をしたというのは、東時間か西時間か?」とあくまで食い下がるのですが「もう、いいから」と私は帰ってしまい、週末ゆっくりしてから再手術にのぞみました。

ただ、わりと知られていないのですが、ペースメーカーの手術は心臓の手術では最も簡単な手術で、部分麻酔ですし、手術時間も30分くらいなのです。手術中に、先生たちが、アメリカンフットボールの試合の話しをしながら執刀しているので、ちょっと、やめてほしいなと思ったこともあります。

ペースメーカーを入れたおかげで、ある意味、人より丈夫になりました。脳死をしても生きているみたいです。サイボーグっぽいですよね。

実は、私は腎臓がひとつしかありません。これも生まれつきみたいです。でも、心臓と同様に何でもないのです。ひとつしかないとわかったのが大学のときに初めて超音波をしたときですから、本当になんでもないのだなって。腎臓はひとつでいいのだそうです。事故とかでひとつなくなっちゃうと困るくらいのことだそうです。

ほかにも、けっこう病気をしました。でも、今まで、痛い思いをしたことがないし、心臓が悪くても腎臓がひとつしかなくても、すごく普通に過ごしています。

ということで、私なりの認識にたどり着きました。前置きが長くなったけど、これが言いたかったのです。

まったく自分では気付かないのだけれど、指摘されてみて初めて、自分の体は人と違うのだなと認識しました。でも、私のこの体は、私にとっては普通であり、先生方が異常だと私に認めさせようとしているだけでした。「先生、私これでいいんだもの。ほっておいてください」

そんなわけで、正常(スタンダード)って何なのだろうと思いました。つまり、今、普通と呼ばれている人たちの体は、それがマジョリティーであるゆえに正常と呼ばれているにすぎないということです。極端な話、健康だけにとどまらないのですが、例えば、心臓がひとつあるのがスタンダード=正常で、心臓が2つあれば異常とよばれるのでしょうが、誰が心臓がひとつが正常だと決めたのでしょう?

障害を抱えた人たちは、社会制度により守られる方向にはありますが、もともと差別される傾向にあります。ハーバードのケースでも、アメリカの鶏が今ではみんなコンタクトレンズをするようになった、そのビジネスアイデアを思いついたきっかけは、白内障の鶏がほかの鶏につつかれて死んでいくのを目撃したからです。どうやら異常であることは動物界では差別の対象であるらしいです。

そう、何の権限があって、正常や異常という判断をするのだろうということです。だから、せめて意思のある人間界では、正常か異常かじゃなくて、マジョリティーとマイノリティーという統計学的な区分けでかまわないと思うのです。

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