賞味期限

相当笑ったこと。これもずいぶん前。Kotと新しい生活を始めるにあたっての買い物をしていた。

いつものように Target。Targetのロゴはずいぶんわかりやすい。赤くてまあるい要は二重丸。ブランケットやComfortやピローケースや目覚まし時計やマグカップ。目薬を探しているときに、コンドーム売り場に遭遇した。なんとなくじーっとそれを眺めている。気がつくとKotも斜め後ろからそれを眺めている。

「ねえ、ねえ、これ買おう」私は言う。「チャンスは突然やってくる。そんなとき、これないと悲劇だ。絶対なしでしないこと。AIDSになっちゃうし。備えあれば憂いなし」Kotもうなづく。「僕も必要だと思った」。

Kot君の経験についてはまったく知るよしもない。でも、高校時代はいつも6時には帰っていたし、週末も部屋に閉じこもってオンラインゲームしていて部屋からさえも出てこなかったし、Geekだし、アメリカンスクールにありがちなダンスパーティにだって絶対行かなかったし、行けって言って嫌々行くときだって、隅っこにあったゲームコーナーでずーっと遊んでいたって言っていたし。

コンドームを手にとって、ちょっと首を傾げ、独り言を言う君。「これって賞味期限あるのかな・・・」

爆!いつそんなチャンスがめぐってくるかわかんないものね。一ヶ月後か一年後か。少年老いやすく学成り難しというか、恋成り難し。

初めてのデートって覚えている?

なななんと、大変なことになった。珍しく感情的なセンテンスで始まるメール。

入学して2ヶ月、嘔吐で病院に運ばれ点滴をうってかろうじて退院。その請求書が1万7000ドル。これ以上に大変なことってあるのかなぁと思いながら、メールをクリックする。中身は、一年上の女の子が日本に家族旅行に来るので、K君が一日彼女の東京案内を頼まれたということ。なんだ、そんなことか・・・。

しかし、本人は大真面目。東京といっても、アメリカンスクールと家の往復以外に渋谷のゲーセンとインターネット喫茶しか知らない彼にとって、そして、今まで女の子と一日を過ごしたことのない彼にとっては一大事らしい。

散々人に聞きまくって、2日間、自分で予行演習をするという。29日が当日で、27日は原宿・竹下通り・六本木ヒルズ・ミッドタウンを歩き回る。28日は浅草に。そこまでする必要があるのか・・・・

「男子たるもの夕食くらいおごってあげたら?」母のアドバイスに「それでもあまり高いものだとアメリカの女の子は嫌がるんだよ」「そう、じゃあ、これ使ったら?」どこかのパーティーであたった高級しゃぶしゃぶのクーポンを渡す。数千円の出費ですむでしょう。「わかった。でも、夕食は一緒に食べるかどうかはわからない」

いつものように、けやき坂のスタバで数時間の仕事を片付けて、家に戻った。夜7時。夕食くらい一緒に食べてくるといいなん、ママとしては初めてのデートがうまくいくといいと願うばかり。彼の部屋の電気は消えたまま。遅咲きの青春。

7時半に携帯が鳴った。「ママ、今、終わった」「なんだ、夕食食べなかったの?」「うん、家族で食べるらしい」「じゃ、仕方ないね。首尾はどうだった?」「わかんない。今から帰る」「じゃあさ、映画行かない?」「ママが見たがっていたやつ?いいよ」「じゃ、品川集合」

なんとなく幸せを感じる日だった。

It’s show time

この時期に行くのかと言われながらStanfordに。私用で行ったのだけれど、それでも、VCとランチして、Googleでミーティングして、方向性が確認できる。

あとはインプリ。

とはいえ、下方修正の反省。これは、パスワードプロテクトしてもブログには書けない。でも、現場に戻るとか、一方で、競合は着々と資本政策して安全な方向に向かっているけど違うだろうとか、IRが成功しただけに、業績がその反対に傾くと、信用力が崩壊。信用回復には数年かかる。もしくは、私の言葉はもう信じてもらえないかもね。

「まいったな」と言っていると、ワープしていると灰色になるとおっしゃっている人に「まいったな」って石黒さんには合わないみたいなことを言われました。

手がないとかそんなことじゃないけれど、へえ、なんとなく、私って「まいったな」って言っていたんだと改めて思った。人に言われないと自分の言動も理解できないのかな、私。

真っ白だった頃から、私への期待値には一定のベクトルがあった。真っ白だった頃には、何故私にそれを求められるのかわからなかった。そうならなくちゃいけないと思いながら心はついてこれなかった。

灰色になってからは、その期待値に完璧に応えることにしました。

子供を大学の寮に入れて、これで私の時間が変わります。寂しいかってよく聞かれるけど、よくわかりません。それは寂しいに違いない。大事な人がいなくなるのだから。景色の色が違うような気もします。朝、目覚めて、栄養のバランスのいい食事をつくらなくっちゃ、ともう思わない。何より先にけっこう時間がかかる彼のことをしなくてもいい。

人生の時系列を考えると、父も母も私に迷惑かけまいと自立させようと相当に早く亡くなった。期待値の中から、いつもこんな具合に私には道ができたりします。

これから5年、何するかって、きっと、めちゃめちゃ仕事すると・・・思います ^_^;

誰かに教えてもらった言葉。

It’s show time

サンクコスト

ブログに、お子のことばかり書いて恐縮なのですが、それにしても、インサイダーっぽくなるためブログに仕事のことが書けない、今更ながら、ブログとは何だと自問自答。ついつい、さらけ出してもいい身内の話題となると、このブログに露ほどの関心も示さないお子のことになってしまう。いい訳はさておいて・・。

早いもので、お子がもう1ヶ月もすればこの家から出て行く。ということで、今になってみると、馬鹿話ばかりしていないで、なんか、もっと訓示をたれておけばよかったと思うのだが、そんなことをしていたら、私とお子の関係も今のようにはなっていないので、親と子の関係というのは悩ましいものだ。

それにしても、18年も一緒にいて、何も教えていないことに気付く。教えなければ!

昨日の夕食はおなかいっぱい食べた。まだ、朝方、胃に残留物が残っている。ああ、いつもの感じだ。それでも、冷蔵庫をあけると卵やハムがいっぱい残っている。明日は、生協のデリバリーが来る日なので早いところやっつけないととあせる。いつも買いすぎる。何度失敗しても懲りない。

だから、お子の朝ごはんを山盛りいっぱいつくった。「ママ、僕、こんなに食べれないから」とお子の静かなるつぶやき。「だいたいですね。食が細すぎます。メタボって何だっけ、えっと、新陳代謝?要するにですね、あなたはまだ新陳代謝が盛んなのでよく食べないと駄目だ。食べろ!」と自分の失敗を人になすりつける。「あなた食べないとですね、結局、ママが残りを食べるわけですよ・・・」と無言の返答に二重返し。「何でママが食べるの?食べなきゃいいじゃん」「そんなこと言って。もったいないと世間の主婦は思い、それで、残り物を食べて太っていくわけです」

ここまでの会話で、「サンクコスト」を思い出す。そうだ、経済学を教えておかないと。お子に訓示たれておかないと、と異なるあせりが生まれる。

「あのね、サンクコストって知っている?」「知らない」「えっ、まじ?だって学校で経済学やったでしょ?何を聞いていたのだ!サンクコストというのは、もう使ってしまった費用のことで、そんなものをあとでうだうだ言っても仕方がない種類のコスト。それを気にして妙にこだわったりするとかえって損をする」自分で自分の話し方に全く説得力がないことに気付く。

たたみかけるように話す私に「だからって、何がいいたいわけ。よくわかんない」とつれない返事。「要するにですね、卵とハムはすでに使ってしまったコストであり、それを無理に使うと、ママが太るってことよ」簡潔にまとめてみた。

「じゃあ、使わなければいいじゃん」「確かにそうだ・・・。でも、そんなことをしたら、アフリカで食べれない子供たちがかわいそうじゃないか・・」「ママが食べても食べなくてもアフリカの子供たちの栄養状態は変わらないよ。ママはいつも論理的じゃないね。飲み残した牛乳は、とりあえず、ママのメタボ対策のため捨てておくね」と言いながら、学校に行ってしまった。

他己中心的物語

お子が卒業した。高校、といってもアメリカンスクールのハイスクールである。日本のアメリカンスクールには奇妙奇天烈なところがあり、腑に落ちないことにしばしば遭遇する(^_^;) 卒業アルバムにある「絵馬」もそのひとつ。なんで、絵馬なんだと思うのだが、よく日本にくるアメリカ人が着ているTシャツに大きく「東京」と書かれている、そんなノリじゃないかな?まあ、いいや。その絵馬に書かれた「将来の目標」にて:

I wish to be a better person.

アメリカ人らしく(もしくは、私の偏見かも)、他の学生は「世界を制覇する!」なんて書いているのに、お子はいつもこの調子だ。彼の人が「国をつくる」と宣っていて、「色んな人がいるですねぇ?」と質問すると「両方とも難しい」と言われ、妙に納得した。

彼が小さい頃、近所の遊園地に私たち二人は毎週末、参上していた。遊園地と言ってもディズニーランドくらいの大きさで太陽に届きそうなくらいビューっと飛んでいくローラーコースターが10個くらいあるシリコンバレーの庭。しかし、そこに来る人たちは、平日会うわりとフィットなビジネスパーソンやエンジニアと異なり、体が風船のように膨らんでもアイスクリームとコークをやめない人ばかり。彼らに混じって、年間60ドルというパスポートの安さと遊園地の豪快さに惹かれ、石黒家でも庭代わりに利用していた。

そこに、川や渓流を模倣した広場でビニールボートを浮かべ、その水流に流される様を見るという極めて科学的な遊び場があった。しかし、この遊びをするためには、ビニールのボートの配給を待たねばならない。お子様、そこでボートをもらうべくして列の最後に並ぶ。こっちは、彼の叔母さんとして生きることを決めたクラスメートと一緒に、ちょっくら休むかと二人でベンチで寝っころがっていました。何分かしてふと列を見ると、お子は相変わらず最後尾。よく観察していると、来る子来る子を次々と自分の前に並ばせている。二人、唖然としてその様子を観察し「あれじゃあ、一生ボートにはありつけない」「つまり、私たちはいつまでたっても帰れない(すでに自己中)」業を煮やして「前に人を入れるな!」とアドバイスすると「みんなに親切にしてあげないと・・・」「そうか、そういう考え方もある」と引き下がった。

小学校の頃の作文。お題は:Life when you are grown up。コンテンツを読ませていただいて、また、目が点。「僕は大きくなったら家を建て、車を買い、家をMarkにあげ、車をJohnに上げます」家はあげてもいいけど、車なしではカリフォルニアで生活は不可能とアドバイスをさしあげた。18歳になった今も変わりがない。

他己中心的という言葉があれば彼を例に出すとよろしいです。親切ですし、反抗期はないし、親思いですし、贅沢はいえないのだが、こんなことで競争の激しいアメリカ社会で生きていけるかと心配になる。しかし、何か言い争うと必ず負ける。私だって、けっこういい人だと思うのだが、彼のほうが正しい。彼と話すたびに心が洗われて、清く生きる決心をする。しかし、これでいいのか?

結論がなくてごめんなさい。

どんどん悪くなる

髪を切る。「あっ、髪切ったんだね」そう言われたら負けだ。だって、おーかわいくなったな、と思ったら、直感的に「いいね」「かわいくなったね」「おっ、そっちのほうがいいぜ」などと言う。でも、「髪 切ったね」は、単に事実を描写したに過ぎない。かわいくないから、事実を述べるしかないのだ。

んんんん。ということで、私は、先週は、1勝5敗だった。最悪。

こんなときは、さっさとあきらめる。そして、髪切ったねと言ったやからに、「あんた、営業力ないね、かわいくなくても、かわいいって言わないと・・・」と毒づく。

私のお子様の場合は、もっとダイレクトだ。彼の言葉を聞くと、相当、へこむ。あまり日本語がうまくないので、悪い言葉も使わないが間接的な言い回しは決してできない。おまけに性格が地味だ。私が普通でないことをすると(ちなみに、しやすい)、ひどく傷ついている。

アメリカに居た頃、とりあえず、茶髪にした。その後、もっと茶髪にした。その後、ほぼ金髪にした。そのたびに、「ただいま!」意気揚々と家に戻ると、ドアの向こうにお子様がいる。髪型を変えた私を見て、う~ん、なんともその態度を表現しにくいのだが、口をあいて、唖然としている。そんなあいた口がふさがらないほどたいしたことは私はしていないのだ。彼があまりに地味なので、二人の間には、相当なギャップがいつもあり続けているだけだ。

そして、唖然とした顔の彼の口をつく言葉はいつも決まってただひとつ。

どんどんどんどん悪くなる

そう言えば、スタンフォードバンドと噴水について

この前、スタンフォードバンドのことにちょっと触れたのだが、要するに日経のウェブを見てくださいといういかにも無責任なことで終わらせてしまった。そこで、ちょっと続きを・・。

スタンフォードバンドは私がスタンフォード大学を愛する理由のひとつで、大学のマスコット的な存在、奇妙奇天烈な格好で完璧なマーチングバンドを披露する。そう、John君の全裸かと見間違えるほどこれまで見たことがないパンツ姿とか、フラダンスの衣装の太鼓たたきとか。しかし、そのお行儀の悪さといったら、さすがに何でもありのシリコンバレーでも、近所のコミュニティー新聞にたたかれたこともある。格好はシリコンバレー的にはOKらしい。態度。「いくらなんでも行儀が悪すぎる」だの「演奏が始まればまだいいが、演奏前にぺちゃぺちゃおしゃべりはやめろ」だの、散々非難されていた(笑)

で、その日も、結局、演奏が佳境に入ると、バンドのメンバーの半分くらいが、噴水の中に入って、パッパラパッパラとやっていた。

そこで、子供との会話を思い出した。うちのお子様、スタンフォード大学の「Admit Weekend」に来て、2歳から住人となっていたこの大学について、さらに深く学んだらしい。何を学んだか?噴水についてです。

実は、子供と噴水については深いRetrospectiveとも言える関わりがある。お子様、何故、スタンフォードを受けたかというと、小さな頃から母親がこの大学が好きで仕方なく、子供にもここに行け、ここに行けと呪縛のような呪文をかけたからに他ならないのだが、その呪縛ゆえ、子供なりにここが大好きになった。彼の世界で一番好きな風景というのが、大学のブックストアの前にある噴水なのだ。これが意外とちんけな噴水なのだが、本人が好きだというのだから別に反対はしなかった。すでに、何十回いや何百回と散歩がてらに立ち寄ったこの噴水、というより目的はブックストアでコーヒーを飲むことにあったが、ある時、彼の大嫌いなとてもCompetitiveな友達と一緒にこの噴水を訪れた。そこで、二人にコインを渡し、後ろ向きに投げて願い事をすると叶う、といいかげんなことを言ってやった。まだ、素直に親の言うことを聞く年頃だったので、二人とも真剣に何やらごにょごにょ言いながらコインを投げていた。そのcompetitiveなお友達に何のお願いごとをしたかと聞くと「今度のテストでいい点がとれるようにお願いした」と言う。さもありなん。当たり前すぎてつまんない。お子様に聞いてみる「ママ、僕は、世界で一番この風景が好きなんだ。だから、この風景がずっとずっと変わりませんようにってお願いしたんだ」

偉い!本当に偉い!こんなちんけな噴水が変わらないようになんて、普通の人に言えることではない!

とにかく、そんな逸話があり、時はすぎ、彼も18歳となる。Admit Weekendで学んだ噴水についての注意事項=「ママ、スタンフォードの噴水にはいつ入ってもいいんだって」

スタンフォードバンドはルールを守っていたということ、そして、お子様の世界が広がった瞬間

あうんの嘘

あうんの呼吸というものがある。家族などで、「あー」と言えば、「うん」と答える。他人が聞いているとまったく何を言っているのかわからないが、当人どおしはわかっている。いつも一緒にいると、言葉に出さなくても、お互いの考えていることがわかる。便利といえば便利。つまらないと言えばつまらない。

私と子供も、一緒に住んで早18年もたつので、だいたいお互いに考えていることはわかる。というのは単なる勘違いで、この二人、普通の家庭に比べ、けっこうわからないことのほうが多い。ほぼ、はずれる。

「何怒っているの?」「いや、単に眠いんだ」

「早く起きたら?」「今日、学校ないよ」
=>私のせいではない。アメリカンスクールに行っているので、学校の休みが日本と違うのだ。

「ママ、早く起きてよ」「どうして起こすの~?」「学校だよ、学校、ご飯作ってよ」
=>アメリカンスクールなので、日本の休みでも起こされる=>くどい?

「ねえ、外食しない?」「僕は絶対家で食べる」
=>昔から地味な性格なので、私はその被害を被っている。

マイレージを貯めてアメリカン航空のビジネスクラスにのせてやった。人生始まって以来の大盤振る舞い。「ママ、僕、アメリカの飛行機の食事嫌いだから、今度は、JALのエコノミーにしてね」

そんなこんなで、毎日が、そんなこんな、である。

ある日のこと。子供は今年からアメリカの大学に行く。アメリカは車社会なので、免許を早々にとらなければならない。じゃあ、日本で免許をとりあえずとるか、などと話していた。それから数日後、私たちは顔を見合わせながら「あー、そうそう」と言い合った。それこそ、あうんの呼吸である。明らかに二人は、子供がしなければならないTo do listのことを思い浮かべていた。そして同時に叫んだ。

子供:

早く、免許とらなきゃ~

私:

そういえばさあ、ノーベル賞とったら?

明らかに私たちは異質だ。

嫁ぐ妹へ

なんとなく古い感じのタイトルですね。実際に、古い話です。

中学生の頃、母の三面鏡の引き出しで一通の手紙を見つけた。実家は戦後に建て直した家だったのでずいぶん古い家だったが、部屋数だけは多く、使っていない部屋がたくさんあった。そのうちのひとつ、2階にあったその部屋に上がることはほとんどなかったと記憶しているが、ある日、何気なく、誰も使わない整頓された日本間に何が隠されているかちょっと探検してみたくなったのだと思う。そこで見つけたのがこの手紙だ。結婚前に、叔母(母の姉)から母にあてられた手紙らしい。私の母は、私にとって未知の人だった。無口で自分の意思を述べることはない。一日中微笑んでいるだけの母の気持ちなど知る由もなく、ましてや若い頃の話など聞いたことがない。その手紙から推測できる若かりし頃の母を想って私は好奇心いっぱいにその手紙を読んだ。

一方の叔母は、母と違って仕事に生きる人だった。大阪大学の薬学部を出て自分の薬局を経営していた。母同様に無口でやさしい人だったが、燐とした強さを感じさせる人でもあった。髪をいつも後ろに束ね、飾り気はない。80歳近くで亡くなる前日まで薬局に一日も休むことなく立っていた。白衣の叔母の姿しか見たことがなかったが、最後まで年を感じさせないはっとするような知的な美しさがあった。当日の朝、お手伝いさんが部屋をのぞくと、布団の中で静かに亡くなっていたという。最後まで誰に迷惑をかけることなく、与える人だったのだと思う。

その手紙には、嫁ぐ母に向けた言葉がいくつか書き留められていた。姉から妹へ向けた優しさと心配に満ちた手紙だった。中でも私が今でも覚えているのはこんなパートだ。

それから、○○ちゃん、顔はお湯で洗わないように。しわができてしまいますから。冬などは水が冷たいから水を使うのは嫌だと思うのだけれど、そんなときは、お湯で洗ったあと最後に一度でいいからお水で顔を洗いなおしてください。

嫁ぐ妹にあてるには、少々意外な文だった。他のパートは、朝は早く起きるのですよ、とか、お姑さんとは仲良くしなさい、とか、今では結婚といって、そんな価値観を持ち出す人のほうが少ないのかもしれないが、当時のあるべき姿みたいなものが書かれていたのに、この文だけが妙な忠告に思えた。でも、なんとなく、女性としての思いやり、いつまでも美しくあって父に愛されるように、というメッセージだったような気がして殊のほか私の心にささった。

私と叔母は当時でも数年に一回ほどしか会うことがなかったが、それ以来、私は叔母の忠告を守っている。天国の叔母はまさか私が顔を水で洗う習慣を叔母から教わったとは露知らないだろう。でも、寒い冬でも、最後にいつも水で顔を洗っているのですよ(笑)

なぜ、こんなことを書こうと思ったのかわからないけど、今日、ふと、この話を思い出したのです。

「光合成」が英語で言えない

孟子の母は、教育熱心。孟子が幼い頃、その家は、墓の前にあったらしい。孟子は、墓堀人夫のまねをしてばかりいる。困った母は引越しをする。八百屋さんの前(ちょっと記憶があやしいので違っているかも)に引越しを・・。今度は、八百屋さんの真似ばかり。困った母は、塾の前に引っ越した。そして、孟子は猛勉強をする子になった。教育のためなら引越しも辞さない。まあ、今ではそんな例は限りないと言われるかもしれないが、私の場合も、子供の教育にはちょっとばかり拘りがあった。

そんなわけで、私も孟母三遷の教えをならってみた(笑) 義務教育の幼稚園(Kinder)の一年と小学校6年がセットになっているアメリカでの話だから、子供が幼稚園に入る直前のこと。アメリカは、政府がとても小さい。特に教育は地方にその制度を完全に依存している。政府が制定する教科書もないし、合衆国政府は、州政府に、州政府は地方政府に、地方政府は学校に、学校は先生に、ほぼ教育内容やカリキュラムまで一任していると言っても過言ではない。

だから、子供によい教育を受けさせようと思うと、いい私立(Private School)に入れるか、よい地方の公立 (Public School) に入れるしかない。アメリカの私立は日本と比べ物にならないくらい授業料が高い。小学校でも年間200万円以上はざらである。貧乏な私はそんな冒険ができるわけもなく、当然のように公立に行かせることにする。しかし、ここにも落とし穴があり、よい公立というのはお金持ちが住んでいる地域にあるのだ。つまり、お金持ちの両親の寄付金でよい教育がまかなえているというにすぎない。自然と住宅費が高い地域に住むという選択をすることになる。どっちみち無理ね、とあきらめないで、そこは子供の教育、必死で調査を開始した。その頃、Stanford大学の修士を終え、大学の近所に住んでいたが、一ブロック離れたところに引越しすれば、NixonというStanford大学の教授の息子や娘がわんさかいる学校に入れるらしい。そこになぜか安いアパートがあった。

 即、引越しを実行。おかげで子供を迎えに行くと、ノーベル賞受賞者の教授と挨拶をしたりすることが日常茶飯事となり、世界一楽天的と言われる私は、子供が持ち帰る宿題にも目を触れず、遺伝子のなせる業を熟考することもなく、ここで勉強すれば子供もノーベル賞かと、いい気になっていた。

ある日、小学校2年生になっていた子供になんとなく聞いてみた。

「ねえ、光合成って英語で何て言うの?」

私といえば、アメリカで勉強して仕事をして、早7年が経とうとしていたが、まあ、言い訳になりますけど、日常会話やビジネス英語はできても、語彙が少ないわけです。光合成なんて日常の話題にならないので、要するに知らないわけです。で、そんな言葉がふと頭の片隅をよぎると、手っ取り早く子供に聞いてみるのです。そうしたら子供は冷たく

「知らない。何それ?」

そこからが物語りの始まりです。

「何?知らないの?え?え?学校で何習っているの?理科でやったでしょう?」よくよく考えると子供が持ち帰るプリントアウトに理科の類が見当たらない。私は、他の学校を知らないので、要するにアメリカというのは、小学校低学年は「読み・書き・そろばん」に集中するのだと勝手に考えていたふしがある。そこで、友人に電話してみて、愕然とした事実を知ることに。

レーガン大統領が、カリフォルニア州の知事だった頃、大幅に教育予算をカットして、それ以来、カリフォルニア州の公立学校のレベルがどーんと下がったという話。おかげで、Nixonも理化の先生が雇えないままで教育を続けているという話。

そんな話を聞いてから、学校の制度をレビューしてみることにした。確かに、教科書はなく、つまり、教育は先生個人のハンドアウトに任され、それは、学年で統一されたものでもなく、カリキュラムさえ先生に一任されているという適当さ。子供の担任の先生など、何故か、ご主人が算数の授業を教えに来ていたり、そのご主人がたまたまヒスパニック系の方でスペイン語が母国語ということで、うちの子供のクラスだけ週に2時間スペイン語の授業があった。

すごく適当な性格ですね、とお褒めの言葉をたびたびいただく私も、これはやばいと思った。それで・・・引っ越しました。孟母に習って子供を小学3年生からHarkerという私立に通わせてみました。ここの学校は、うって変わって、30%の生徒がアイビーリーグに行くという徹底した教育校。詳細は、また、別に書くとして、持てないくらいの重さの教科書を使い、博士号を持つ先生がいっぱい、カリキュラムは他校の1年2年先を行く。それで、安心して、子供にもう一度聞いてみる。

「ねえ、光合成って英語でなんて言うの?」

「あー、それね、Harkerでは2年生で習っちゃったみたいで、僕は知らない」

ということは、この子は一生、光合成を習うチャンスがないのか・・・子供は今年17歳になったが、それ以来、怖くて、この質問をしたことがない。